前回のこのコラムカテゴリでは、
「存在(Being)」と「行動(Doing)」をわけて考えること、
というところまで書きました。
今日はその続きです。
ありのままでいいのはわたしたちの「Being」の部分で、
「Doing」の部分では向上したい、成長したいと思ってがんばることは
ひととしてごく自然なことだと言いました。
気をつけたいのは、
そのふたつをごっちゃにして捉えないこと。
なぜならそれは、わたしたちの根本的な自信、
ひいては生きやすさ(もしくは生きづらさ)に繋がるからです。
詳しく説明しましょう。
一般的に「自信」といわれるものには、
じつは2つの種類があります。
ひとつは、「自尊心(Self-esteem)」。
もうひとつは、「自己効力感(Self-efficacy)」。
※「自尊心」という言葉はプライド、に近い印象を受ける方もいらっしゃいます。
「自己肯定感」のほうが英語の持つニュアンスに近いかもしれませんが、
ここでは「自尊心」という単語を使います。
自尊心は、“I am good.”(わたしは大丈夫。わたしはこれでいいんだ)
という自分自身に対する健全な愛情、そして肯定感です。
そして自己効力感とは“I can.”(わたしはできる)と思っていること。
何か特定の分野(カテゴリ)における自分の能力を信用している状態です。
なので、「自尊心は低いけど、ある分野(例えば仕事)の自己効力感は高い」
というひともいるでしょう。
たぶんですが日本人、少なくともこれを読んでいる大多数のひとは
おそらく自尊心が低い&自尊心と自己効力感を分けて捉える術を知らないので、
・自尊心の低さを自己効力感でカバーしようとしたり、
・自分のとある「カテゴリ」の能力の高低
(そしてそれが社会的、金銭的に価値あるものだと余計に)
をイコール自分自身の価値の高低と同一視してみたり、
しているのではないでしょうか?
それでうまくいっていればいいのですが、
・自信があった「カテゴリ」の部分で挫折⇒自分全否定、立ち直れず
とか、
・いろんな能力は高いが、自分自身への根本的な自信(自尊心)がないので、
次から次に何かをがんばらなければ自分には価値がないと思っていていつも苦しい
とか、
あるのではないでしょうか?
何ができてもできなくても、たとえば、
・仕事ができても or できなくても
・英語がしゃべれても or しゃべれなくても
・お金持ちでも or お金がなくても
・勉強が得意でも or 得意じゃなくても
それはあくまであなたというひとりの人間のなかにある「カテゴリ」の結果で、
その出来不出来があなたという人間の「存在」自体の優劣を決めるものではない。
と、心の底からあっけらかんと納得していられたらいいですね。
そして、他のひとに対してもその視点を持ってつき合えるといいですね。
さて長くなったので、また次回に続きます☆
(うん、まだ書くよ!)