前回のこのコラムカテゴリでは、
「存在(Being)」と「行動(Doing)」をわけて考えること、
というところまで書きました。
今日はその続きです。
ありのままでいいのはわたしたちの「Being」の部分で、
「Doing」の部分では向上したい、成長したいと思ってがんばることは
ひととしてごく自然なことだと言いました。
前回のこのコラムカテゴリでは、
「存在(Being)」と「行動(Doing)」をわけて考えること、
というところまで書きました。
今日はその続きです。
ありのままでいいのはわたしたちの「Being」の部分で、
「Doing」の部分では向上したい、成長したいと思ってがんばることは
ひととしてごく自然なことだと言いました。
「ありのままでいい」というメッセージが溢れる昨今です。
当たり前といえば当たり前ですが、世の中には、
・色んな主義、思想、価値観をもったひとが
・色んな立場、色んな抽象度(そのひとのいる世界観)
から情報を発信しています。それはいいこと。健全なことです。
問題はそれがいっしょくたに存在しているので、
情報の受けとり側としては非常にややこしいこと。
こんな話を聞いたことがあります。
「たとえ何があったとしても、あなたの頭のなかだけは誰にも奪われることはない。だから学びなさい。それが最高の資産なのだから」
ユダヤ人の学ぶ姿勢(彼らは怒濤のように学ぶひとたちですよね)について説明した本の一説だったと思います。
彼らは国を追われ迫害され…という長い歴史のなかで「あらゆる財産は誰かに奪われる可能性がある。ただひとつの例外が自分の頭のなかのもの」という結論に至ったのでしょう。
続きを読む