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【vol.23】海辺の街へ

 

―やっと地中海沿岸のサント・マリーまで来てこれを書いている。地中海は鯖のような色で、たえず変わりやすく、緑か紫か、常に青かどうかも定めがたい、一瞬後にはバラ色や灰色の反射に変わっている(ゴッホ、弟のテオ宛に書いた手紙より)。

 

あの街のことを思い出すと、いまでも胸がいっぱいになり、何かじっとしていられない気持ちになる。日々を送るなか、少し油断しただけでうっすらとこの胸を覆い始める薄衣のような“不安”や、目の前のこの小さな画面があたかも世界のすべてのように感じる病的な“勘違い”が瞬時に霧消していくのだ。まるで、全身に希望のシャワーを浴びるみたいに。あの教会の屋根から見たオレンジ屋根の家々や、キラキラ輝く地中海の光をただ、思い出すだけで。

 

☆☆☆☆

 

翌朝、誰よりも早く朝食―もちろんカフェオレ、クロワッサン、バターとジャムをたっぷり塗ったバゲット―を平らげると、フロントにいたマダムにその海辺の街への行き方を訊ねた。「車がないなら、バスで行くしかないわねぇ」とマダム。アルルの駅前か、メインストリートにあるツーリストインフォメーションの近くからバスが出ているはずだという。

 

「バスの出発時刻がわからないから、インフォメーションデスクに聞きにいくといいわ」。

 

お礼を言って、さっそくホテルから飛び出て行こうとすると後ろから呼び止められる。

 

「まだ8時前だもの、あいてないわよ!」

 

―なんとまぁ、気の進まない予定がある朝とは大違いの、この前へ前へ感。

 

☆☆☆☆

 

「サント・マリー・ド・ラ・メールね、えぇ、ここからバスで行けますよ。1時間くらいです」。

 

ヨーロッパのツーリストインフォメーションで働く人々は、いったい何カ国語話せることが採用基準なのだろう。みんなが胸に国旗のマークをいくつかつけていて、それはその国の言語を話せるという目印だ。20代半ばだと思われる―いや、例によって大人びて見えるだけでもっと若かったのかもしれない―目の前のポニーテールの彼女も、フランス、イギリス(英語)、スペイン国旗のバッジをつけていた。それでもパッと見ただけで、その場で働いている数人のスタッフたちは、みなそれ以上のバッジをつけている。

 

「ここを出て左に200mくらい行くと、バス停があります。そこで20番のバスに乗って、えーっと、このバス停で降りてください。マークしておきますね」。

 

バスの時刻表を拡げながら丁寧に説明してくれるポニーテールさん。20番のバスすべてがあなたが降りるバス停でとまるわけではないから、あなたはこの○時か○時のバスに乗って行ってね。日帰りでしょう?だったら帰りはこのバスかこのバスに乗って帰ってきてね、最終バスは止まらないから気をつけて―。

 

朝早く、まだ他に観光客のいない静かなツーリストインフォメーションを出ながらどうしようもなく気分が高揚してくるのを感じた。おかしい、これはおかしい。わたしはこんな、旅先のツーリストインフォメーションで必死で情報を集めたり、思いつきで長距離バスに乗ったりするようなタイプの人間じゃないのだ。そもそもバスの旅なんて、あまり好きじゃないのだ。なのに、これじゃ、これじゃまるで・・・

 

旅びとみたいじゃないか。

 


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