【VOL.3】「怒り」をめぐるストーリー、そしてそこから始まった人生の転換について

 

「おかあさんの様子がおかしい」。

 

姉からそうメールが入ったのは、8月のはじめのことだった。電話でのコミュニケーションがあまり好きではないわたしは家族ともメールでやりとりすることが多く、それは姉とも同じだった。

 

「おかしいって?」

 

そう返信したものの、さすがに母のこととなるとわたしも平静ではいられない。そのまますぐに姉に電話をかける。親にとって子が弱点であるように、わたしにとっても親は弱点なのだった。相手に何かあったらそれだけで動揺してしまう、冷静ではいられなくなる、そんな弱点。

 

もしもし、と聞こえてくる姉の声は疲れたようにくぐもっていて、その声を聞いたとたん心臓が早鐘のように打ちはじめた。何?何?何?何があったの?

 

「おかあさんが、変なこと言い出して…何だか様子がおかしいよ…」

 

うちの母はもう10年ほど双極性うつを抱えていて、通院もしている。何ら問題なく毎日を過ごしているかと思えば、ときどき何かのきっかけでグッと落ち込んでしまい、日常生活を送ることがとてもとても負担になるのだ。「むりしないで」「何もしなくてもいいんだよ」とどれだけ周りが伝えても、本人が何もできない自分を責めてしまったり、体も思うように動かなかったりで、見ているほうもつらいのだが、それでも真面目な母はどうにか家事をこなし、自営をしている父の仕事を手伝ったり、姑の世話をしたりと過ごしてきた。

 

「いつもみたいに落ち込んでいるときの状態じゃなくて?」

 

「うん、何か、あり得ない被害妄想みたいなこと言い出して…家にひとが入ったんじゃないかとか、おばあちゃんの世話がちゃんとできてないから、近所のひとに通報されたんじゃないかとか…そんなことあるわけないじゃん!なんかもう、おかしいの。どうしよう…」

 

泣きそうな姉の話をとにかく聞いて、わたしからも連絡してみるからと電話をきる。姉は心配性でものごとを大げさに捉えがちなところがあるから…確認しないことには本当のところはわからない。

 

「もしもし?」

 

久しぶりに電話で聞く母の声は、姉と同じように疲れたようにくぐもっていて、わたしはいつものように「なんとなく電話したよ」というスタンスで話しはじめた。

 

「おかあさん、元気?」

 

「うーん…」

 

まさか「おねえちゃんからおかあさんの様子がおかしいって聞いて」とも言えず、さりげなく話をしながら様子を伺う。元気なときも元気じゃないときも元気だよ、と返す母が、今日は何とも言わない。

 

「どうしたの?またちょっと元気ないの〜?もう、そういうときは何もしなくていいんだよ。ごはんだってつくらなくたっていいんだし」

 

落ち込んでいるときでも、わたしがこんなことを言うと母は「でもおかあさんぜんぜんちゃんとしてないし」「サボってるし」と言ってくる。言ってることはいつもとほぼ同じ…でも、そのテンポが違った。言葉がなかなか出てこない。グッと何かをこらえているような、こちらがもどかしくなるような沈黙。

 

「….おかあさん、大変なことしちゃったかもしれない……」

 

「なーに言ってんの!なにが大変なことなの?」

 

おかしい、やっぱりおかしい。平静を装いながら、心臓がギュッとなる。母の、おかあさんの、わたしのおかあさんの、様子がおかしい!

 

 

「だいじょうぶだから、どうしたの?」

 

「うん………」

 

いたずらを問いつめられた子どものような沈黙だった。言いたい、けど言ってしまったら大変なことになると思っているような。

 

「みかちゃんにも迷惑かけちゃうかもしれない….」

 

「なにが迷惑なの、もー、大丈夫だよ、もうわたしもおかあさんが思ってるほど子どもじゃないんだから。大概のことは大丈夫だよ〜」

 

うん….とまた長い沈黙があって、ため息と嘲笑が混ざったような声で母はこう言った。

 

「おかしいね、おかあさん、おかしなこと言ってるね…」

 

冷や汗をかくとはこのことだろう。わたしはいつもとは明らかに違う母の様子にわたしはこれ以上ないほどに動揺していて、けれどその心を必死で守るかのように体の一部はとてもクールにこのことを観察していた。

 

「あ、そうだ、みかちゃん、奨学金の返済のことでこっちに何か通知がきてたよ」

 

いきなり少しシャンとする母。自分がどんなに混乱していても、娘に何かを指示したり注意するとき、このひとは母になるのだ。膵臓ガンで亡くなった祖母ー母の母ーが、もうやせ細って寝ているだけだったのに、わたしが姿を見せるとしっかりとした祖母に戻り、あれこれわたしに注意した姿を思い出してふいに泣けた。

 

「お盆はどうするの?」

 

「帰りたいけど…大丈夫かな」

 

「うん、そうだね…」

 

わたしひとりだけの帰省ではない。パートナーを伴っての帰省は、やはりどれだけ気心が知れていると言っても母はそれなりの準備をするし、気もつかう。母がこんな調子ではいまは帰らないほうがいいだろうか。これまでも、母の体調によって帰省するしないを決めてきたわたしは彼女が本当はわたしに帰って来てほしいのか、それとも遠慮してほしいのかその本意がわからなかった。

 

その後もあたりさわりのない会話に終始し、何かあったら連絡してねと電話をきる。そして姉に電話をかけ直した。

 

「どうだった?」

 

「やっぱり、おかしかった」

 

「やっぱり?なんて言ってた?」

 

何か大変なことをしてしまったと思い込んでいる様子、それがわたしたちにも迷惑をかけるほどのことだと思っている様子・・・。話しながらわたしはどんどん冷静に、対して姉はどんどん感情的になってくるのがわかった。動揺すればするほどクールになってしまうわたしと、泣きそうな声で出口のない話をグルグルとする姉。こんなときいつもうんうん、と聞き役になってきたわたしだがーこのとき心の底でマグマのようにぐつぐつと煮えたぎっている言葉が出口を探してさまよっていた。

 

ーもう聞きたくない。

 

ーもう聞きたくない。

 

ーもう聞きたくない。

 

口を開いたらもうめちゃめちゃにぶつけてしまいそうで、わたしはひたすら姉の話す言葉に耳を傾けていた。そんなとき、わたしの耳が、キャッチしたひとことー。

 

「おかあさん、かわいそう」

 

そのひとことが、わたしのスイッチを、入れてしまった。

 

「もうやめてよ!」

 

一瞬、静かになった電話口の向こうの姉に向かって、わたしは泣きながら叫んでいた。

 

「おかあさんのこと勝手にかわいそうなんて言わないで!」

 

「おかあさんの人生をかわいそうかかわいそうじゃないかなんて、おかあさんにしか決められないんだから!勝手にかわいそうなんて言ったらゆるさない…ゆるさないから!!」

 

そんなふうに言わないで、と今度は役割が逆転したかのように少し冷静になった姉が言った。姉はいまでこそ退職してしまったが、もとはスクールカウンセラーだ。感情的になった人間の扱いもよく分かっているのだろうか。

 

「お盆だって帰りたくない。わたしは実家になんて帰りたくない!」

 

家族みんなの話を聞いている役、自分は違うと思っても、感情的に、そして倍になって返ってくる言葉が怖くてグッとこらえてしまう役ー。子どもの頃からいつのまにか身につけてしまった家族のなかの役割から抜け出せなかったわたしは、いつからか帰省することは手放しで楽しいことではなくなってしまった。それはこんなことが起こったいまでも変わらないのだと、咄嗟に自分の口から出た言葉で再認識してしまった。そして自分で自分にショックを受ける。なんて、ひどいー。

 

それでも泣きながら姉に怒りをぶつける。ゆるさない。お姉ちゃんのそういうところがゆるせない。大嫌い。もうずっと前から帰りたくなかった。

 

最初は「そんなこと思ってたなんて、そのときに言ってほしかったよ」と言っていた姉も、だんだん同じように怒りはじめる。

 

「あんたはそうやって自分のことばっかり!昔っからそう!何でいつもわたしばっかり・・・」

 

「そうやって自分ばっかりがんばってるみたいに言うのもやめて!わたしがどんな思いで実家を離れて、10年以上なんとかここまでやってきたかもわからないくせに!!だいたい、自分ばっかりって我慢してるって何なの?そういう態度でいるから、不満が溜まったりおかあさんみたいになったりするんじゃない!わたしはそんなの絶対に嫌。絶対に嫌!」

 

いつもまわりを優先して、自分を後回しにして、そして心身ともに疲れてしまった、母。

 

悲しかった。

 

悲しくて悲しくて悲しくて、でも怒りが止まらなかった。もう知らない、おかあさんのことだってもう知らない。母への怒りも溢れ出す。

 

ーだから言ったじゃない、どうしてもっと自由に生きようとしないの?なんで我慢してそこにいるの?それで病気になって。ばかみたい。

 

ーわたしが心理学勉強したの、おかあさんにしあわせになってほしかったからだよ。おかあさんの役に立ちたかったからだよ。

 

ーもう知らない、おかあさんのことだってもう知らない。もうずっとそこにいればいい!

 

慟哭。

 

もう知らない、と怒って電話を切った姉に、こっちはまだ言いたいことがあるんだと電話をかけなおす。出ない。留守電によくわからない言葉を残す。もはや母のことは関係ない。ずっと言いたくて言いたかった本音がへどろのように溢れてとまらなかった。

 

悔しくて悲しくて、泣いて泣いて泣き続けた。

 

わたしは、姉に、家族に、こんなに怒りをぶつけたことはない。言いたいことを、あらいざらいぶつけたことも。きっとカウンセリングがきっかけで2週間ほど感情を揺さぶり続け、夢を見たことで家族への怒りを掘り起こした直後だったからだろう。わたしは、生まれて初めて姉に本音をぶつけることができたのだった。

 

その後もわたしの怒りは止まらず、電話に出ない姉にメールをし続けた。文章にすると冷静に相手を追いつめられるわたしに、負けじと返してくる姉。

 

その日は間違いなくここ数年でいちばん涙を流し、眠りについた。次の日目をさましたわたしのまぶたは案の定ひどく腫れていて、何と怒りはまだ続いていて、その日会った誰彼かまわず前日のできごとを話した。

 

自分の正当性を証明したくて。いま思えばそれだけわたしも動揺していたということだろう。

 

もういいや、顏も見たくないと言われたけど、ずっと反論するのが怖かったおねえちゃんに初めて言いたいことが言えて、わたしは、もう、いいや。

 

実の姉と縁が切れるかもしれない、と思ったほどの衝突をしたわりに、わたしはスッキリしていた。これで縁がきれたらきれただと、なぜか妙に達観した気持ちだった。

 

・・・そして、次の日、母が入院した。

 

◆つづく◆

【VOL.2】「怒り」をめぐるストーリー、そしてそこから始まった人生の転換について

 

〜これはわたしが昨年体験した、「怒り」をめぐるストーリー、そしてそこから始まった人生の転換についてのお話です。前編はこちらからどうぞ〜

 

こんなワークショップに、あなたは参加したことがあるだろうか?

 

たとえば、あなたがいま抱えている課題、悩んでいることをその場でシェアする。

 

その後、ファシリテーターや講師のリードで、あなたの課題や悩みに関わる登場人物ー職場での課題なら上司や同僚、家庭での課題ならパートナーや親、子どもなどーを思い出させるようなひとを、そのワークショップに参加しているひとのなかから選んでいくのだ。

 

そして、そのひとを前に、自分のなかから湧き出たことばを伝える。それはもちろん、実際のあなたの課題や悩みに関わるひとに向けて言いたいことだ。普段は言わないように我慢していたり、我慢していることにすら気づかなかったりするので、ときにはファシリテーターが「こんなふうに言ってみてください」とセリフを提示する。あなたはそのセリフを繰り返すだけでもいい。

 

すると、何が起こるかー。

 

☆☆☆☆

 

真夏の陽射しがめいっぱい降り注ぐリビングに、わたしは裸足で立っていた。夢うつつのこの状態でワークをしたほうがいい、頭が覚醒してきてしまえば、きっと望むような結果は得られないだろう。そう思ったわたしは、目の前に自分の家族がいる情景をイメージした。

 

ワークショップではないから、登場人物に似たひとを会場のなかから探すわけにはいかない。あくまでイメージのなかに立つわたしと、目の前に立つ家族ー。

 

ーさぁ、マインドが目を覚まさないうちに。みんなに言いたいことは何?

 

泣きながら昼寝から目が覚めたわたしだったが、そう自分に問いかけた次の瞬間、自分の口から出たくぐもった叫びを聞いてまた堰をきったように涙があふれた。

 

「・・・・・・おまえらのそういうところが許せない!」

 

そのことばを発した自分の声を耳にしたら、もう止まらなかった。子どものようにごうごう泣きながら、わたしは体を折り曲げて泣いた。顏をくしゃくしゃにして。ゆるせない、ゆるせないと絞り出すように言いながら。

 

けれど頭の一部はやはりとても冷静で、泣いている自分にこう言い聞かせている。何が許せないの?言ってしまいなさい、ぜんぶ言ってしまいなさいー。

 

「・・・おまえらのその田舎もんの考え方がゆるせない」

 

「狭い世界しか知らないくせに、自分たちの考えが正しいって信じて疑わない、その考え方がゆるせない」
「その狭い視野でひとをジャッジする、おまえらがゆるせない」

 

イメージのなかの家族に罵詈雑言浴びせたわたしは座り込んでわーわー泣いた。わーわー泣いて、泣いて、泣きまくったら・・・信じられないくらいにすっきりしたのだ。子どもの頃、恥も外聞もなく全力で泣いて、泣ききってけろっとした、あの頃の感覚と同じような。もしくはもっと大人仕様に言うなら、五感と感性すべて解き放ち、「過去」も「未来」もどこかに消えてしまう特別なセックスをしたあとのような。

 

ー感情を解放すると気持ちいいって、こういうことか。

 

リビングの壁にもたれながら、しばらく惚けたように座っていたわたしは、ずっと知りたくてモヤモヤしていたことをようやく探りあてたような気がしていた。

 

ーわたし、家族に対してあんなふうに怒ってたんだ。

 

あらゆる問題の根元に家族あり、というのはまぁ、あるあるな話だ。半年に1度、泣きながら怒る夢を見ていたわたしは、家族に何か言いたいことがあるんだろうなという自覚はあった。

 

ーでも、そうか、あんなことが言いたかったんだ。

 

何にそんなに怒っているのか自分でもまるで気づいていなかったけれど、今日のあのへんてこな夢でわかった。わたしは自分の家族の一方的なものの見方や狭い視野、他の価値観を否定することで成り立つ正義を信じて疑わないこと、そんな諸々が嫌で嫌で仕方なかったのだ。そして嫌で嫌で仕方ないなら、その都度言えばよかったのに、衝突が怖くてスルーしてきた。父が怒ったり、母が泣いたり、姉や祖母がヒステリックに叫んだり、そんな感情吹き荒れる家族のなかにいるのが怖くて仕方なかったから。末っ子で何もわからないと思われつづけてきたけれど、そうではないのだ。頭の上を飛び交う嵐の下で、わたしはずっと寝たふりをしてきた。ずっと飲み込み続けたそのことばひとつひとつはとても小さなもので、けれど溜まりつづけたそれはもう持ちきれないほどに大きくなっていたのだろう。

 

ーあーあ、なんかもうどうでもよくなっちゃった。

 

それまでなぜだろう、どうしてだろうと思ってきたことがわかって、何だかすべてがどうでもよくなってしまった。一方で確かにとても大切に思っている家族のことを、一方では「おまえら」呼ばわりするほど憎んでもいることに心底仰天した。うわー、わたし、とんでもない奴だ。とんでもない奴だけど、うん、すっきりした。

 

べつに実際、家族に罵詈雑言浴びせたわけじゃなし。すっきりしたことだし、よかったよかった。今度からは少しずつでいいから、家族に自分のいいたいことを言えるようにしていこう。

 

そんなことを思っていた。

 

けれど、思っていた、では終わらない夏だった。

 

◆つづく◆

「怒り」をめぐるストーリー、そしてそこから始まった人生の転換について

 

幼い頃のわたしは、カッとなって大声を出す父の姿が心底怖く、以来、大声を出す男性がみなとても苦手になってしまった。何か言いたいことがあっても言葉にできない。ぐっと飲み込んでしまう。たとえ相手が自分に対して怒っているわけではなくても、だ。大声を出して誰かに怒りをぶつけているその声を聞くだけで怖くて嫌で仕方がなかった。「感情」について学んだいまでは「あー、きれてるな」と、だいぶ冷静に観察できるようになったのだけれど。

 

☆☆☆☆

 

そんなふうに「怒り」を表現しているひとの姿が怖かったからだろうか、わたしは知らず知らずのうちに「怒り」という感情それ自体をいけないもの、避けるべきものとしてタブー視するようになってしまったらしい。自分に対して「怒り」という感情を表現すること、もっといえばそれを感じること自体を禁止してしまったようなところがある。だから、わたしはいまでも「怒り」を感じることがあまりない。他のひとが怒る場面でも、むしろわたしは悲しくなってしまうし、相手に感情をぶつけるというより、自分にその矛先を向けてしまう。

 

「怒り」は感情の蓋、もしくは「二次感情」だと言われる。ひとが怒りを感じるとき、その「怒り」の下には、本当はもっとじんわりしめった感情がくすぶっていて、わたしたちはそれを感じるのがつらいから「怒り」で蓋をするのだと。そのじんわりしめった感情とはつまり、理解してもらえなかった悲しみ、自分の大切な何か―それはマイ・ルールかもしれないし、プライドかもしれないーを踏みにじられた悲しみ、もしくは何らかの恥や罪悪感などだ。

 

感情について学びはじめた当初、わたしはこんなことを思っていた。「怒りが『悲しみの蓋』とか『二次感情』っていうなら、わたしはその下に眠っている悲しみを最初からちゃんとキャッチできてる。そっちのほうがいいんじゃない?」と。だって、そのほうが自分が本当に感じているものを自覚できるし、原因を探ることができる。原因がわかれば、次に同じ反応をしなくてすむ。本当の感情を感じたくないからって怒りで蓋をしてそれを相手に投げるなんて、自分の責任を放棄してるようなものじゃないか、と。

 

☆☆☆☆

 

けれど、もう2年程前からだろうか、半年に1回程の割合で自分がめちゃくちゃ怒っている夢を見るようになった。日々のなかで何か怒るようなことがあったわけではない。夢のなかで何に対して怒っているのかもわからない。けれどわたしはとにかく号泣しながら怒っているのだ。朝、目が覚めたときもまだ泣いていて、あぁ、わたし本当は怒ってるんだ、でも何に対して怒っているんだろうとぼんやり思っていた。

 

☆☆☆☆

 

そんな「半年に1度、激怒している夢」を見つつも、フツーの生活を送っていたわたしだが、昨年の夏、思うところあって有名なカウンセラーのカウンセリングを受けた(ちなみに心理学を学んだり、自分もコーチングなどをしているので、カウンセリング等を受けることに抵抗がありません。というか、みんなもっと受けてみたらいいのにと思っている)。どうしても解決したい大きな問題を抱えていたわけではない。精神的に参っていたわけでもない。けれど、そのときのわたしは何だか人生が停滞しているような、踊り場から先に進めないような感覚がもどかしくて仕方なく、1度プロの視点からの助言とサポートが欲しいと思っていた。

 

そのときの具体的な内容はここでは書かないけれど、カウンセラーはいくつかの宿題を出してくれた。そのなかのひとつが、自分の感情を思いっきり動かせる何かをしてください、ということ。

 

「あなたはいつも1歩ひいて慎重にまわりの様子を見ているようだから、そんなことが気にならないくらい没頭できる何かをしてみてください。何かありますか?」

 

わたしは「ダンス」と答えた。ダンス、とくに何を習っているわけではないけれど。

 

「ダンス!いいですねー、ダンスは感情を解放するのにぴったりです。あとは、ひとりでカラオケに行って熱唱するとかでもいいですよ」。

 

根がマジメで早く結果を出したいせっかちなわたしは、カウンセラーから出された宿題を粛々とこなした。家でひとりになったときは音楽をかけてただただでたらめに踊った。ひとカラは初めてだったけど、週に2-3回のペースで行った。周りに合わせることなく好きな歌だけ、上手い下手も気にすることなく、ただ歌うだけ。

 

すると、感情が揺さぶられたからだろうか、歌いながら泣けてきた。悲しい歌はもちろん、悲しい歌でさえなくても。しまいには歌えなくなってただただ泣いているときもあった。そんな日は、家でただゆったりとダンスをしていても涙が溢れた。

 

そんなことを2週間ほど続けたある日のこと。昼寝をしていたわたしは、やけに鮮明な夢を見た。見知らぬ家族と、カラオケに来ている夢だった。

 

☆☆☆☆

 

その夢のなかでわたしは、なぜかイタリア人の友だちを連れていて、見知らぬ家族ー顏は知らない、でもその家族構成はあきらかにわたしの家族と同じーに、その友だちを紹介しようとしていた。

 

愛想良く向かい入れる見知らぬ家族と、お土産を渡す友だち。ありがとう、と言ってそのお土産を受け取った彼ら。なぜかわたしはそのあと、その家族の母親に呼ばれてひとり別室に行った。

 

「なんかこんなもの貰っても困るのよね、っていうか、何これ。安全なのかしら」

 

友だちが(※すべて夢のなかです)持ってきたイタリアの有名なリキュール、リモンチェッロを手にしたその見知らぬ母親はため息をついた。「それに最近このへんで事件があったんだけど、あの外国人のひと関わってないわよねぇ」

 

夢のなかだもの、全体的に支離滅裂である。支離滅裂だし、そもそもこの家族の顏さえ見覚えがない。

 

が、わたしはこの見知らぬ母親のひとことで血の気がひくほどの怒りを感じた。血の気がひくほどの、そして次には体じゅうが震えるほどの。

 

気づけば夢のなかのわたしは、泣きながらその家族たちに向かって激怒していた。声がかれる程泣き叫んで、何か一生懸命訴えている。

 

悔しくて悲しくて、泣きながら目が覚めた。真夏の昼、さんさんと陽射しが入る部屋のなかで、泣きながら天井を見つめたわたしはこれはチャンスだと思った。その原因はわからないけれど、わたしは心の奥で本当はとても怒っていて、ここ2週間程感情を揺さぶり続けたことで、それが出てきたのだ。

 

そしてその怒りは、自分の実の家族に向けられた怒りだということも感覚としてわかった。

 

ーこの怒りを解放したい。

 

夢うつつのなか、わたしはリビングまでフラフラ歩いた。心理学のワークショップなどで行うワークを、ひとりでしてみようと思った。

◆つづく◆

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