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ヒト、モノ、カネというけれど

 

経営資源として「ヒト、モノ、カネ(+情報)」とはいうけれど、ずいぶん乱暴なくくりだなぁと常々思っていた。「資本主義」というこの大きなゲームの盤上に乗せてしまえばたしかに「ヒト」は駒のひとつにすぎないけれど、その「ヒト」はひとりひとりが名前のついた誰かの息子や娘であり、何世代にも渡って受け継がれてきた習慣や文化を持ち、喜怒哀楽といった「心」を持つひとなのだ。そのことを知ってか知らずか「あっち(経済がまわっているところ)にもっとヒトが必要だから、こっち(それは大抵経済がまわっていないところ)から連れていこう」とコマのようにつぎはぎしてヒトを動かした結果が、昨年パリで起きたテロの原因のひとつである気がしてならない。

 

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世界を見ると「オールド資本主義」はあきらかに末期的な状況ーめまいがするような格差、それが生み出す混乱ーだけど、これってかつてヨーロッパで絶対的な存在だった教会が免罪符(※)なんか売り出して宗教改革を呼込んでしまったり、「すべて神がつくりたもうた」と説明する宗教にかわって新しい正義である「科学」が台頭してきた状況、「それまでのルールが変わる」前夜みたいな空気感と似ているんだろうなと思う。いまでも宗教を信じる敬虔なひとびとがいるように、資本主義を信じる敬虔なひとびとはこれからも残るだろうし、力も持ち続けるだろう。けれど、時代はゆっくりと新しいルールに変わってきていて、いつかこの新しいルールが古いルールを凌駕するときがきっとくる。古いパラダイムのなかで育ったわたしたちは、その変化のはざまにいて両側から引っ張られるようでとても苦しいけれど、この大きな渦のなかに生きられるのもラッキー!と思うしかない。そして、クンクンと嗅覚を磨いて新しいルールを探るのだ。

 

ヒト、モノ、カネ、そして情報が「資本主義社会」の大事な資源だったなら、これからの新しい社会は何を資源とするのだろう。せめて人間が一個体の「ヒト」ではなく、縦軸にも横軸にも繋がって生きる「ひと」として認識される社会であるといいなと思う。

 

※免罪符:カトリック教会が善行(献金など)を代償として信徒に与えた一時的罪に対する罰の免除証書。中世末期、教会の財源増収のため乱発された。1517年、聖ピエトロ大聖堂建築のための贖宥 (しょくゆう) に対しルターがこれを批判、宗教改革の発端となった。贖宥状。〜デジタル大辞泉より〜

※つぎの社会がどんなものになるのか、というのは岡田斗司夫氏の著書「評価経済社会」を参考につらつら考えています。

彼女の横顔

 

そのときのわたしはなんだかとても参っていて、ずっと訊きたくて、でも訊けないと思っていた質問をたまらず電話口の向こうにいる母にぶつけた。

 

「おかあさんって、おとうさんのこと愛してたの?」

 

そのとき間髪入れずに母から返ってきたことばを、わたしはきっと一生忘れないだろう。

 

「愛してたよ、いまでも大好きなんだよ」

 

ーだけど、考えかたが違ったり、わかり合えなかったりでストレスがたまっちゃうんだけど。いまでも好きなんだよ。

 

・・・なんだ・・・。

 

そりゃあ、なんだかんだともう結婚して30年以上一緒にいるわけだし、夫婦のことは例え親でも外からはわからないことくらいわかってるし、でも、こんな質問をしたら「うーん、わからない」とか返ってくると思っていた。勝手に。

 

なんだ・・・愛してたんだ・・・。

 

わたしたち親子は生粋の日本人で、愛情表現が上手ではなくて、成長過程でもいまでも、家族のあいだで愛してるよなんてことばが交わされたことはない。

 

でも、なんだ、愛してたんだ・・・。

 

なーんだ!!

 

母本人から聞いたわけじゃないのに、わたしは自分たち姉妹がいるから別れられないとか、わたしたちがいたから苦労したんじゃないかとか、そういうことを思っていた。またもや、勝手に。

 

なんだ、愛してたんだ・・・。

 

泣きながらわたしは、自分がこんなにも、そのひとことを欲していたことに驚いていた。訊きたくて、聞きたくて、でも怖くて訊けなかったことー。

 

ーおかあさんは、おとうさんと出逢ってこのひとの子どもを生みたいと思ったんだよ。それに自分の育った家が嫌だったから、早く自分の家庭を持ちたかったの。だから、大好きなひとの子どもを2人も生めて、おかあさん、夢が叶ったんだよ。

 

泣き笑いしながらわたしは母に言った。なんだ、おかあさん、パッションのひとだったんだね。情熱で結婚したんだね。

 

「そうだよ、じゃなかったら、小姑3人もいて姑と同居の末っ子長男のとこになんてお嫁にきてないよー!」

 

笑いながら母はこたえた。

 

母は、わたしの母は、娘が思う以上に強いひとで、じつは情熱のひとで、恋と夢をどちらも叶えたひとだったのだ。

 

自分のカラダの一部分、小さくて、でもとても冷たくて固くなっていたある部分が、すーっと溶けていくようだった。なーんだ。それは拍子抜けしたような、あきれて笑ってしまうような。ついこないだどん底まで落ち込んでいた友人が、あっけらかんと持ち直した様子をみて肩を軽くぶちながらこう言うときの気分。なんだもう、心配して損したよー。

 

それは、例えるならわたしの存在それ自体を全肯定してもらったような感覚だった。愛し合ったふたりのあいだに生まれた、そう肚から感じられることがこんなにも我が身を軽くするなんて。

 

いま、母はまだ50代、そしてわたしは30代だ。きっとこの10年くらいが、お互いを「守る」もしくは「守られる」役割から自由な状態で、相手を知ることのできるいい時期だろう。それは、ひとりの大人として。おかあさん、と呼ばれる役割を持った彼女ではなく。

 

そうなのだ。わたしは、まだまだ「ひと」としての彼女を知らない。「母」というラベルをとったときの彼女の横顔を、これからもっと発見していきたいと思う。

書かなくなった手紙

 

数年前から、Room to Readという非営利団体の活動に共感してときどき寄付をしている。彼らがCool(かっこいい)だなと思う点は色々あるけれど、設立者であるジョン・ウッド氏が最初の著書(※)のなかで、「寄付を募る団体にありがちな『ガリガリに痩せた子どもたちがこちらを見つめる』ような写真を見てひとびとは罪悪感からお金を払うかもしれないが、それよりは子どもたちの未来や希望にお金を出したいと思うのではないか」というようなことを書いていたことが心に残っている。

 

ひとにとって「罪悪感を刺激される」というのは、もちろん気持ちのいいものではない。その罪悪感から逃れるために何らかのアクション(上記の例でいえば寄付など)を起こしてもそれが継続しにくかったり、本人がちっともハッピーじゃないのはその出発点が「罪悪感」だからだ。たとえそのアクション自体はとても素晴らしいものだったとしても。

 

☆☆☆☆

 

わたしは亡くなった祖母に以前はよく手紙を書いていて、けれどあるときそれをぴたりとやめてしまった。それは純粋に祖母を想う気持ちからというより、自分の「罪悪感」から書いているものだと気づいてしまったから。祖母も認知症が進み、もうあまりわたしの手紙を待ち望んだり大切にしたりという風じゃなかったということや、もう子どものように思ったことを口に出すようになっていた彼女の、悪気のないひとことで不本意に傷ついてしまったというのもその決断に拍車をかけた。

 

幼少期の親や周囲のおとなの口癖なんかが、子どもの思考パターンのフレームを決める。幼い頃から祖母の苦労話をよく聞かされて育ったわたしは(※)、いつのまにか「祖母はかわいそうなひとだ」という強烈なインプットと「自分は何もできなくてごめんなさい」という勘違いが醸成がされてしまったらしい。そのかわいそうな祖母に何かしてあげたくてーというより、しないと悪い気がしていたのかもしれないー手紙を書いたりプレゼントを贈っていたのだ。悲しいけれど、いま思うと出発点は「罪悪感」だった。だからどんなに祖母が喜んでくれても、わたしはいつも嬉しいというより、泣きたいような気持ちだったのだろう。

 

以来、何かをするとき、それが「愛」からくるものなのか「怖れ」からくるものなのかをときおり自分の胸に聞くようになった。それがどちらも表面的には同じ行動でも、自分が受け取るものがまったく違うから。たとえば純粋に相手を想ってあたたかい言葉をかけるのと、相手に嫌われたくなくて言葉をかけるのとではその行動自体が同じでも自分の見える景色はまったく異なるということだ。わたしがかつて手紙を書くたびに祖母がよろこんでくれても、この胸はいつもひっそりと晴れることがなかったように。

 

「罪悪感」からではない、ただ純粋に「愛」から書いた手紙を出す前に祖母は逝ってしまったけれど、いまはただ記憶のなかで少し若返った祖母に笑って話しかけている。おばあちゃん、確かにすごく苦労したけど、楽しいこともあったでしょ。それにいつもどこかでごめんねと思ってたけれど、もう謝ったりしないよ、だってわたし別におばあちゃんに悪いことしてないもん、と。

 

「マイクロソフトでは出会えなかった天職 ぼくはこうして社会起業家になった」 ジョン・ウッド著

※ひとって、ハッピーなことより苦労したことを覚えているものです。で、それを語るのって本人にとってはある種のエンタメのようなものだと思うのですが、子どもはそれがわからず何度も何度も「かわいそう」な話としてインストールしちゃったのですね。