結局どれくらいのあいだ、そこにいただろうか。やっとの想いで立ち上がり、主祭壇のある前方へと進む。祭壇の正面は不思議な鉄製のモチーフで飾られていた。女の子が両手を拡げ、その両横にひと房ずつのぶどうが配置されている。そしてそれらを囲む、大きなハート。
キリストの磔刑の姿などー教会でいつも密かに思うのは、どうしてこんな痛そうな像を置いておくのかってこと。子どもだったら多少トラウマになりそう―いくつかの像があり、わたしはなかでも幼子を左手に抱いたマリア様にそっと歩み寄った。
―この右手に持っているのは、何だろう。
トーチ(たいまつ)だろうか。初めてみる類いのマリア像だった。時がとまっているように感じる静謐な像ではない。まるで1歩踏み出そうとしているひとりの人間のようだ。あるいは、いままさにやってくる誰かを、正面から出迎えようとしているかのような。
―ひとを導く光、かな。それとも灯台のように暗闇を照らす光、かな。
刀剣のようにも見えるけれど、それではあまりにも戦闘的すぎるだろう。印象的なその像をそっと写真に納めた。あとでチホコさんにメールで送って、このマリア像について何か知っているか聞いてみよう。
その後はさらに暗い地下へと進み、スペイン人観光客と思われる家族連れの肩越しに、鮮やかなケープを幾重にもかけられた聖人サラの像をみて、わたしは外に出た。
☆☆☆☆
暗闇とローソクに慣れた目に、海辺の街の陽射しは容赦なく突き刺さる。あわててサングラスをかけると、要塞のように強固なこの教会を壁づたいに歩き、どこかにあるという階段を探しはじめた。
―あった。
何のアピールもなくひっそりと座る係員―いかにもこの街で生まれ、以来ずっとここに住んでます、といった印象の素朴なムッシュ―に2ユーロを渡し、息苦しく感じるほどに狭い階段を黙々とのぼる。この教会は屋根にのぼれるのだ。チーズにワインにクロワッサンにと毎日好きなだけ飲み食いしているのにさほど太った実感がないのは、こうして出かけるたび歩いたり上ったりを繰り返しているからに違いない。息がだんだんとあがってくる。
暗い階段―それにしてもこの暗さと明るさのコントラストで目がおかしくなりそうだ―の先に光が見えた。出口だ。
「わーーー…!」
思わずひとり、歓声をあげる。
オレンジともテラコッタともいえる色の屋根屋根の向こうに、キラキラと輝く地中海がみえた。誰かが定規でピッと線をひいたかのようにまっすぐな水平線と、上等な魚のウロコのように銀色に輝く水面。燦々と光を注ぐ太陽。屋根のいちばん上の三角部分に腰を下ろし、強い海風にあおられながら目の前に拡がる贈り物のような景色を、360度じっと見つめ続けた。
―忘れたくない。
胸に迫る、とはこういうことをいうのだろうか。わたしは必死でこの景色を網膜に焼きつけようとしていた。この景色を忘れたくない。この感情を忘れたくない。
わたしの身体も、思考も、心も、すべてがいまここにいた。余分なものはなく、足りないものもない。わたしは全身で生きていた。
―あぁ、本当に、ここに来てよかった。
はるか昔、マリアたちが辿り着いたという伝説の街。ゴッホが描いた海がいまも燦然と輝く街。
ーそして偶然のように見つけ、つき動かされるように訪れた街。
もう、次に行くべき場所がわかっていた。
彼女に会いに行くのだ。
サン・ボームへ。





