【VOL.27】すべてはいまここに

 

結局どれくらいのあいだ、そこにいただろうか。やっとの想いで立ち上がり、主祭壇のある前方へと進む。祭壇の正面は不思議な鉄製のモチーフで飾られていた。女の子が両手を拡げ、その両横にひと房ずつのぶどうが配置されている。そしてそれらを囲む、大きなハート。

 

キリストの磔刑の姿などー教会でいつも密かに思うのは、どうしてこんな痛そうな像を置いておくのかってこと。子どもだったら多少トラウマになりそう―いくつかの像があり、わたしはなかでも幼子を左手に抱いたマリア様にそっと歩み寄った。

 

―この右手に持っているのは、何だろう。

 

トーチ(たいまつ)だろうか。初めてみる類いのマリア像だった。時がとまっているように感じる静謐な像ではない。まるで1歩踏み出そうとしているひとりの人間のようだ。あるいは、いままさにやってくる誰かを、正面から出迎えようとしているかのような。

 

―ひとを導く光、かな。それとも灯台のように暗闇を照らす光、かな。

 

刀剣のようにも見えるけれど、それではあまりにも戦闘的すぎるだろう。印象的なその像をそっと写真に納めた。あとでチホコさんにメールで送って、このマリア像について何か知っているか聞いてみよう。

 

その後はさらに暗い地下へと進み、スペイン人観光客と思われる家族連れの肩越しに、鮮やかなケープを幾重にもかけられた聖人サラの像をみて、わたしは外に出た。

 

☆☆☆☆

 

暗闇とローソクに慣れた目に、海辺の街の陽射しは容赦なく突き刺さる。あわててサングラスをかけると、要塞のように強固なこの教会を壁づたいに歩き、どこかにあるという階段を探しはじめた。

 

―あった。

 

何のアピールもなくひっそりと座る係員―いかにもこの街で生まれ、以来ずっとここに住んでます、といった印象の素朴なムッシュ―に2ユーロを渡し、息苦しく感じるほどに狭い階段を黙々とのぼる。この教会は屋根にのぼれるのだ。チーズにワインにクロワッサンにと毎日好きなだけ飲み食いしているのにさほど太った実感がないのは、こうして出かけるたび歩いたり上ったりを繰り返しているからに違いない。息がだんだんとあがってくる。

 

暗い階段―それにしてもこの暗さと明るさのコントラストで目がおかしくなりそうだ―の先に光が見えた。出口だ。

 

「わーーー…!」

 

思わずひとり、歓声をあげる。

 

オレンジともテラコッタともいえる色の屋根屋根の向こうに、キラキラと輝く地中海がみえた。誰かが定規でピッと線をひいたかのようにまっすぐな水平線と、上等な魚のウロコのように銀色に輝く水面。燦々と光を注ぐ太陽。屋根のいちばん上の三角部分に腰を下ろし、強い海風にあおられながら目の前に拡がる贈り物のような景色を、360度じっと見つめ続けた。

 

―忘れたくない。

 

胸に迫る、とはこういうことをいうのだろうか。わたしは必死でこの景色を網膜に焼きつけようとしていた。この景色を忘れたくない。この感情を忘れたくない。

 

わたしの身体も、思考も、心も、すべてがいまここにいた。余分なものはなく、足りないものもない。わたしは全身で生きていた。

 

―あぁ、本当に、ここに来てよかった。

 

はるか昔、マリアたちが辿り着いたという伝説の街。ゴッホが描いた海がいまも燦然と輝く街。

 

ーそして偶然のように見つけ、つき動かされるように訪れた街。

 

もう、次に行くべき場所がわかっていた。

 

彼女に会いに行くのだ。

 

サン・ボームへ。

【VOL.26】Never let go

 

「愛すると追われる」

 

「決して見つかってはならない」

 

「子どもを産めばかくれなければならない」

 

「・・・・・愛するひとを決して手放してはならない」

 

 

南仏の小さな海辺の街、サン・マリー・ドゥ・ラ・メールの薄暗い教会のベンチに座り、わたしはただただ泣いていた。ふわふわとどこかで漂っていた「何か」が、わたしのからだを使って「ことば」としてこの世界に降りてきた。まるで、たまたまそこにいたわたしを見つけたかのように。ザーザーといっていたラジオのチューニングが、急にぴたりと合ったかのように。

 

決して手放してはならない―。

 

もう行かなければいけない切羽詰まった誰かが、どうしても伝えたくて目下のものに託したことばのようだった。 毅然としていた。そのひとことが、炎のように体を突き上げわたしの胸に刻印を残した。

 

ベンチ脇をすり抜けて祭壇のほうに向かった家族連れのなかのマダムが、ひとり泣き続けるわたしをそっと振り返る。なにか悲しいことがあって泣いていると思ったのだろうか。気づかうようなその視線―それはおそらく世界中のおかあさんという人種だけが持っているあのまなざし。本人たちはそれを持っていることに気づいてもいないけれど―と目が合い、わたしは少し微笑んだ。大丈夫、という気持ちを込めて。彼女も寄り添うような微笑みを返す。

 

ムッシュも子どもたちもとっくに前方に移動していて、彼の妻が、彼らの母が、見知らぬわたしとそんな一瞬のやりとりをしたことをまるで知らない。

 

わたしは静かに泣き続けていた。

 

これはいったい、誰の涙なのだろうと思いながら。

 

【VOL.25】Love, Hope, Faith

 

ハートは、愛(Love)を。

碇は、希望(Hope)を。

そしてクロスは、信仰(Faith)を―。

 

それぞれのモチーフが持つ意味、それは日本に帰ってから知ったことだ。わたしはクリスチャンではないけれど、「何かを信じることで生じる力」を信じている。それを信仰というなら―。

 

このカマルグクロス(カマルグ十字)が表すもの以上に大切なものって、あるだろうか?

 

―ハート、かぁ。

 

けれど、サン・マリー・ドゥ・ラメールにいたわたしはそんな詳細を知る由もない。ただただ、目の前にあるその見たこともないクロスに心奪われていた。見た瞬間に「これはわたしのものだ」と思ったその衝動だけはよく覚えている。

 

―こんな可愛らしいクロスがシンボルになっているなんて、マリアたちの街にぴったり。

 

このクロスのモチーフが売ってたら、いくら高くてもぜったい買って帰ろう、そう決心して教会の入り口をくぐった。

 

☆☆☆☆

 

程度の差はあれ、教会とは通常、その内部が明るいことはない。ステンドグラスが多用された教会であればそこから美しい光がなかにいるひとを照らしてくれるけれど、だいたいにおいて薄暗いのがデフォルトである。

 

けれど、これは―。

 

この教会はこれまで入ったどんな教会よりも内部が暗く、回遊しない空気とともに独特の空間をつくっていた。その昔、海賊やイスラムの民から街を守る要塞の役割を果たしていたというだけあって、外から侵入される危険性を極限まで排除している。入る光といえばはるか頭上にある小さな窓だけが頼りだ。

 

思ったよりもたくさんの人々がこの教会を訪れていた。ヒソヒソ声で会話を交わすグループを通り越して、ベンチに腰を下ろす。

 

「・・・・・・」

 

この頃には、わたしは自分の感受性が全開になるときの感覚をつかみかけていた。身体の肌表面すべてが、その場所の空気から「何か」を受け取る感覚。

 

不思議だ、日本ではOffになっている何かしらのスイッチがOnになっているとでもいうのだろうか。

 

もしもこれがときどき巷で耳にする「もともとヒトは誰だって不思議な能力―テレパシーとか―を持っていたんだよ。いまは退化しているだけで」といった類のものだとすれば、人間はいったいぜんたい、何と引き換えにこの力を封印してしまったのだろう。

 

―わたしは泣き出していた。

 

悲しいわけでもないのに。

 

ことばが胸に宿った。

 

「愛すると、追われる」。

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