【VOL.24】サン・マリー・ドゥ・ラメール〜海の聖マリアたち〜

 

バスの旅が苦手なわたしが、それでも当然のようにその街に行こうと思った理由は―正確にいえば行こう、とさえ「思って」いなかった。決断→行動というプロセスがなく、ただ動く、それだけ。何かを頭で「思う」余地もなかった―その街の名前にあった。「サン・マリー・ドゥ・ラ・メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)」、海の聖マリアたち―。

 

 

マリアさまに会いにきた、と直感が告げたこの旅の流れは、いったんパリで終わったと思っていた。けれど、それはまだ途切れてはいなかったのだ。

 

☆☆☆☆

 

カマルグの湿原を進むバスの車内には容赦なく陽射しが差し込み、まるで強制的に日光浴をさせされているかのようだ。太陽が降り注ぐバスの左側に席をとったことに早くも後悔しつつ、暑さに耐えきれず着ていたデニムシャツを脱ぐ。車内は思ったより乗客も多く、わたしと同じ旅行者、地元のひと、大学生らしき若者で8割がた埋まっていた。

 

野生のフラミンゴやカマルグの白い馬、塩田が有名だというその土地を眺めながら、前の晩、なるべくネットを見ないというこの旅の禁を破って調べたことをぼんやり思い返す。

 

サン・マリー・ドゥ・ラ・メール(海の聖マリアたち)は、その名のとおり、マリア“たち”の言い伝えが残る街だという。

 

伝説は語る。

 

エルサレムでイエスが磔刑にあったあと、マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベ―みな、イエスの磔刑を見守り彼の復活を目撃したとされる女性たち―、そして従者であったサラ、マルタ、ラザロたちが舟でエルサレムを離れ、海を渡ってこの地に流れ着いた。マリア・サロメ、マリア・ヤコベ2人のマリアたちとそれに従うサラはこの地に残り、マグダラのマリアはこの地を離れ、サン・ボームという山塊のなかにある洞窟で祈りと瞑想をして過ごしたという。

 

―サラが、イエスとマグダラのマリアの娘だっていう説もあるみたいだけど・・・。

 

途中何度か乗客を乗り降りさせながら、50分ほど経っただろうか。目的地のバス停に着く。ここに着いたら教えください、とバスに乗る際あらかじめお願いしたうえ、声をかけて貰いやすいようにと運転席の真後ろに座っていたのだが、ドライバー氏、みごとに忘れている。まぁ、うん、そんなもんだよね。

 

わたしを含め10数人がここでバスを降りる。この街の観光名所といえばひとつだけだ。みな2人のマリアたちの聖遺物とサラの像を祀っている教会に向かうため、同じ方向についていけば迷いようがないと聞いたので素直に従う。

 

背の低い建物が並ぶこの海辺の街もアルルと同様、バカンスを楽しむたくさんのひとで賑わっていた。海が近いだけあってアルルよりも小さな子ども連れの家族客が多いようだ。燦々と陽射しを浴びながらテラス席でランチを楽しむ黄金色に日焼けしたバカンス客を尻目に、教会があるとおぼしき方向へ向かう。潮の香りのするほうへ―。

 

果たして、それは、そこに立っていた。あった、のではない。「立っていた」。

 

要塞のような風貌で堂々と海に向かって立つ教会。その入り口に掲げられた十字架に、わたしの目は釘付けになっていた。まるで胸にずどん、と何か太いものがささったかのようだ。刹那、心がざわっと粟立つ。

 

見た瞬間、これはわたしのものだ思った。

 

ハートと、碇と、十字でできた、カマルグクロス―。

 

それらひとつひとつのモチーフが持つ意味を、このときわたしは何も知らなかった。

 

【vol.23】海辺の街へ

 

―やっと地中海沿岸のサント・マリーまで来てこれを書いている。地中海は鯖のような色で、たえず変わりやすく、緑か紫か、常に青かどうかも定めがたい、一瞬後にはバラ色や灰色の反射に変わっている(ゴッホ、弟のテオ宛に書いた手紙より)。

 

あの街のことを思い出すと、いまでも胸がいっぱいになり、何かじっとしていられない気持ちになる。日々を送るなか、少し油断しただけでうっすらとこの胸を覆い始める薄衣のような“不安”や、目の前のこの小さな画面があたかも世界のすべてのように感じる病的な“勘違い”が瞬時に霧消していくのだ。まるで、全身に希望のシャワーを浴びるみたいに。あの教会の屋根から見たオレンジ屋根の家々や、キラキラ輝く地中海の光をただ、思い出すだけで。

 

☆☆☆☆

 

翌朝、誰よりも早く朝食―もちろんカフェオレ、クロワッサン、バターとジャムをたっぷり塗ったバゲット―を平らげると、フロントにいたマダムにその海辺の街への行き方を訊ねた。「車がないなら、バスで行くしかないわねぇ」とマダム。アルルの駅前か、メインストリートにあるツーリストインフォメーションの近くからバスが出ているはずだという。

 

「バスの出発時刻がわからないから、インフォメーションデスクに聞きにいくといいわ」。

 

お礼を言って、さっそくホテルから飛び出て行こうとすると後ろから呼び止められる。

 

「まだ8時前だもの、あいてないわよ!」

 

―なんとまぁ、気の進まない予定がある朝とは大違いの、この前へ前へ感。

 

☆☆☆☆

 

「サント・マリー・ド・ラ・メールね、えぇ、ここからバスで行けますよ。1時間くらいです」。

 

ヨーロッパのツーリストインフォメーションで働く人々は、いったい何カ国語話せることが採用基準なのだろう。みんなが胸に国旗のマークをいくつかつけていて、それはその国の言語を話せるという目印だ。20代半ばだと思われる―いや、例によって大人びて見えるだけでもっと若かったのかもしれない―目の前のポニーテールの彼女も、フランス、イギリス(英語)、スペイン国旗のバッジをつけていた。それでもパッと見ただけで、その場で働いている数人のスタッフたちは、みなそれ以上のバッジをつけている。

 

「ここを出て左に200mくらい行くと、バス停があります。そこで20番のバスに乗って、えーっと、このバス停で降りてください。マークしておきますね」。

 

バスの時刻表を拡げながら丁寧に説明してくれるポニーテールさん。20番のバスすべてがあなたが降りるバス停でとまるわけではないから、あなたはこの○時か○時のバスに乗って行ってね。日帰りでしょう?だったら帰りはこのバスかこのバスに乗って帰ってきてね、最終バスは止まらないから気をつけて―。

 

朝早く、まだ他に観光客のいない静かなツーリストインフォメーションを出ながらどうしようもなく気分が高揚してくるのを感じた。おかしい、これはおかしい。わたしはこんな、旅先のツーリストインフォメーションで必死で情報を集めたり、思いつきで長距離バスに乗ったりするようなタイプの人間じゃないのだ。そもそもバスの旅なんて、あまり好きじゃないのだ。なのに、これじゃ、これじゃまるで・・・

 

旅びとみたいじゃないか。

 

【vol.22】その夜の記憶

 

ひとの記憶とは不思議なものだ。ほんのささいなこと、何の役にもたたないことをやたら鮮明に覚えているかと思えば、その場にいた誰もが記憶するようなエポックメイキングなできごとをみなまったく違うもののように記憶していたりする。自分の価値観というフィルターなしで目の前に展開される景色を記憶できればいいのにと思う反面、そんなことになったら世界がたいそう味気ないものになるよ、とも思う。

 

☆☆☆☆

 

朝はカフェオレとクロワッサン、バターとジャムを大量に塗ったバゲットを平らげ―カロリー?何でしたっけそれ―元気に外へ飛び出す。強い陽射しを浴びながらひたすら街を歩き、興味の湧いた場所に足を踏み入れ、お腹がすいたらランチを食べる。ホテルに戻って糊のきいた真っ白いシーツにもぐって昼寝をし、たっぷり眠って体力が回復したら、また散策に出る。夜にはへとへとになってぐっすり眠る。時計なんて見なかった。お腹が空いたときが食事どき。眠くなったら眠りどき。アルルでわたしは幸福な子どものように過ごしていた。歩き疲れてカフェに入るたびにワインを飲む子どもというのがいれば、の話だけれど。

 

ある夜、昼寝のしすぎで眠れなかったわたしは、ベッドサイドの灯りを頼りにまたみどりさんから借りた「南仏の歩き方」をぺらぺらとめくっていた。少しはこのアルルを拠点に他の街にも行ってみようかと、なんとなく思いながら。

 

―それにしてもこのシチュエーションで本を読まないって、わたしにとってはものすごいことだわ。

 

正確にいうと、読む本を持ってきていなかったので読めなかった、が正しい。普段、活字ばかり追っているわたしは、旅のあいだ意識的にそれをやめていた。左脳ではなく右脳を、知識ではなく感性を頼りにしたかったから。

 

ベッドの上で足をバタバタさせながら、このときふと、あるページに目がとまった。もう何度か見ていたはずの本なのに、それまでまったく目に入っていなかった、とある海辺の、小さな街の紹介。

 

時間にしてみればほんの一瞬のことなのに、わたしはいまだにこのページを目にしたときのことを鮮明に覚えている。幾千もある記憶の引き出しのなかから、瞬時に取り出せるほどに。あの部屋のほんの少しかびくさいにおいも、寝転がっていたベッドのシーツの清潔な感触も。そして何より自分のなかに突然湧いた、不思議な感覚の手触りさえも。

 

あ、

 

と思った。

 

あ、

 

「・・・わたし、ここに行くんだ」

 

それはまるで、最初から自分がそこに行くことを、もうひとりの自分が知っていたような感覚だった。

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