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【VOL.16】聖母マリアとマグダラのマリア

 

聖母マリアとマグダラのマリア―。

 

The Virgin (処女マリア)と呼ばれ、処女受胎で神の子イエス・キリストを身ごもったとされる女性。清らかな母、すべてを受け止めてくれる母性の象徴のようなひと。

 

一方、The Sinner(罪のひと)と呼ばれてきたマグダラのマリア。もともと新約聖書にそのような記述があったわけでもないのに、後の解釈(6世紀のローマ教皇大グリゴリウスによるとされる)により自らの美貌と快楽に溺れた娼婦であったと喧伝されてきた女性。

 

聖母マリアがわたしたちが求める「究極の母親像」を投影され続けたひとだとすれば―

 

マドレーヌ寺院のなかを回遊するように歩きながら思う。

 

マグダラのマリアは、そこからはじかれてしまったもの、究極の女性にはふさわしくなかったものを、引き受けさせられてしまったひとだな―。

 

「聖母」にはふさわしくないもの、それは最も俗的な部分、人間的な部分、そして受け止めるスタンスではない「動」的な部分だろう。

 

きっと普通の人間―わたしのような―が手を合わせるとき、ピカピカに曇りのない聖人だけでなく、彼女のようなストーリーを持ったお手本が必要だったに違いない。若さと美貌ゆえ、快楽に溺れていました。娼婦となりました。けれど、回心してその後は信仰につとめました。そして最後は、聖人にまでなりました―。

 

それにしても、といまチホコさんが教えてくれた聖母子像の前に立ち止まって思う。

 

本当はふたりはどんな女性だったんだろう?

 

後世の人間が、自分たちが求める女性像を半ば好き勝手に投影して創り上げたキャラクターとしての聖母マリアでもなく、マグダラのマリアでもない、ただひとりの女性としての彼女たちは、いったいどんなひとだったのだろう。

 

―そもそもだよ、そもそも、聖母マリアだってセックスしたよね、だって子どもを産んでるだから。お母さんにセックスを連想させるものをみたくないって、それは子どもの勝手な言い分だよね。

 

―もしくは、モテない男の自意識こんがらがった押しつけだよ。

 

押し寄せる頭のなかのひとりごとを振り払いながら見上げた聖母が抱くその子どもは、たしかに女の子に見えた。


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