「おかあさんの様子がおかしい」。
姉からそうメールが入ったのは、8月のはじめのことだった。電話でのコミュニケーションがあまり好きではないわたしは家族ともメールでやりとりすることが多く、それは姉とも同じだった。
「おかしいって?」
そう返信したものの、さすがに母のこととなるとわたしも平静ではいられない。そのまますぐに姉に電話をかける。親にとって子が弱点であるように、わたしにとっても親は弱点なのだった。相手に何かあったらそれだけで動揺してしまう、冷静ではいられなくなる、そんな弱点。
もしもし、と聞こえてくる姉の声は疲れたようにくぐもっていて、その声を聞いたとたん心臓が早鐘のように打ちはじめた。何?何?何?何があったの?
「おかあさんが、変なこと言い出して…何だか様子がおかしいよ…」
うちの母はもう10年ほど双極性うつを抱えていて、通院もしている。何ら問題なく毎日を過ごしているかと思えば、ときどき何かのきっかけでグッと落ち込んでしまい、日常生活を送ることがとてもとても負担になるのだ。「むりしないで」「何もしなくてもいいんだよ」とどれだけ周りが伝えても、本人が何もできない自分を責めてしまったり、体も思うように動かなかったりで、見ているほうもつらいのだが、それでも真面目な母はどうにか家事をこなし、自営をしている父の仕事を手伝ったり、姑の世話をしたりと過ごしてきた。
「いつもみたいに落ち込んでいるときの状態じゃなくて?」
「うん、何か、あり得ない被害妄想みたいなこと言い出して…家にひとが入ったんじゃないかとか、おばあちゃんの世話がちゃんとできてないから、近所のひとに通報されたんじゃないかとか…そんなことあるわけないじゃん!なんかもう、おかしいの。どうしよう…」
泣きそうな姉の話をとにかく聞いて、わたしからも連絡してみるからと電話をきる。姉は心配性でものごとを大げさに捉えがちなところがあるから…確認しないことには本当のところはわからない。
「もしもし?」
久しぶりに電話で聞く母の声は、姉と同じように疲れたようにくぐもっていて、わたしはいつものように「なんとなく電話したよ」というスタンスで話しはじめた。
「おかあさん、元気?」
「うーん…」
まさか「おねえちゃんからおかあさんの様子がおかしいって聞いて」とも言えず、さりげなく話をしながら様子を伺う。元気なときも元気じゃないときも元気だよ、と返す母が、今日は何とも言わない。
「どうしたの?またちょっと元気ないの〜?もう、そういうときは何もしなくていいんだよ。ごはんだってつくらなくたっていいんだし」
落ち込んでいるときでも、わたしがこんなことを言うと母は「でもおかあさんぜんぜんちゃんとしてないし」「サボってるし」と言ってくる。言ってることはいつもとほぼ同じ…でも、そのテンポが違った。言葉がなかなか出てこない。グッと何かをこらえているような、こちらがもどかしくなるような沈黙。
「….おかあさん、大変なことしちゃったかもしれない……」
「なーに言ってんの!なにが大変なことなの?」
おかしい、やっぱりおかしい。平静を装いながら、心臓がギュッとなる。母の、おかあさんの、わたしのおかあさんの、様子がおかしい!
「だいじょうぶだから、どうしたの?」
「うん………」
いたずらを問いつめられた子どものような沈黙だった。言いたい、けど言ってしまったら大変なことになると思っているような。
「みかちゃんにも迷惑かけちゃうかもしれない….」
「なにが迷惑なの、もー、大丈夫だよ、もうわたしもおかあさんが思ってるほど子どもじゃないんだから。大概のことは大丈夫だよ〜」
うん….とまた長い沈黙があって、ため息と嘲笑が混ざったような声で母はこう言った。
「おかしいね、おかあさん、おかしなこと言ってるね…」
冷や汗をかくとはこのことだろう。わたしはいつもとは明らかに違う母の様子にわたしはこれ以上ないほどに動揺していて、けれどその心を必死で守るかのように体の一部はとてもクールにこのことを観察していた。
「あ、そうだ、みかちゃん、奨学金の返済のことでこっちに何か通知がきてたよ」
いきなり少しシャンとする母。自分がどんなに混乱していても、娘に何かを指示したり注意するとき、このひとは母になるのだ。膵臓ガンで亡くなった祖母ー母の母ーが、もうやせ細って寝ているだけだったのに、わたしが姿を見せるとしっかりとした祖母に戻り、あれこれわたしに注意した姿を思い出してふいに泣けた。
「お盆はどうするの?」
「帰りたいけど…大丈夫かな」
「うん、そうだね…」
わたしひとりだけの帰省ではない。パートナーを伴っての帰省は、やはりどれだけ気心が知れていると言っても母はそれなりの準備をするし、気もつかう。母がこんな調子ではいまは帰らないほうがいいだろうか。これまでも、母の体調によって帰省するしないを決めてきたわたしは彼女が本当はわたしに帰って来てほしいのか、それとも遠慮してほしいのかその本意がわからなかった。
その後もあたりさわりのない会話に終始し、何かあったら連絡してねと電話をきる。そして姉に電話をかけ直した。
「どうだった?」
「やっぱり、おかしかった」
「やっぱり?なんて言ってた?」
何か大変なことをしてしまったと思い込んでいる様子、それがわたしたちにも迷惑をかけるほどのことだと思っている様子・・・。話しながらわたしはどんどん冷静に、対して姉はどんどん感情的になってくるのがわかった。動揺すればするほどクールになってしまうわたしと、泣きそうな声で出口のない話をグルグルとする姉。こんなときいつもうんうん、と聞き役になってきたわたしだがーこのとき心の底でマグマのようにぐつぐつと煮えたぎっている言葉が出口を探してさまよっていた。
ーもう聞きたくない。
ーもう聞きたくない。
ーもう聞きたくない。
口を開いたらもうめちゃめちゃにぶつけてしまいそうで、わたしはひたすら姉の話す言葉に耳を傾けていた。そんなとき、わたしの耳が、キャッチしたひとことー。
「おかあさん、かわいそう」
そのひとことが、わたしのスイッチを、入れてしまった。
「もうやめてよ!」
一瞬、静かになった電話口の向こうの姉に向かって、わたしは泣きながら叫んでいた。
「おかあさんのこと勝手にかわいそうなんて言わないで!」
「おかあさんの人生をかわいそうかかわいそうじゃないかなんて、おかあさんにしか決められないんだから!勝手にかわいそうなんて言ったらゆるさない…ゆるさないから!!」
そんなふうに言わないで、と今度は役割が逆転したかのように少し冷静になった姉が言った。姉はいまでこそ退職してしまったが、もとはスクールカウンセラーだ。感情的になった人間の扱いもよく分かっているのだろうか。
「お盆だって帰りたくない。わたしは実家になんて帰りたくない!」
家族みんなの話を聞いている役、自分は違うと思っても、感情的に、そして倍になって返ってくる言葉が怖くてグッとこらえてしまう役ー。子どもの頃からいつのまにか身につけてしまった家族のなかの役割から抜け出せなかったわたしは、いつからか帰省することは手放しで楽しいことではなくなってしまった。それはこんなことが起こったいまでも変わらないのだと、咄嗟に自分の口から出た言葉で再認識してしまった。そして自分で自分にショックを受ける。なんて、ひどいー。
それでも泣きながら姉に怒りをぶつける。ゆるさない。お姉ちゃんのそういうところがゆるせない。大嫌い。もうずっと前から帰りたくなかった。
最初は「そんなこと思ってたなんて、そのときに言ってほしかったよ」と言っていた姉も、だんだん同じように怒りはじめる。
「あんたはそうやって自分のことばっかり!昔っからそう!何でいつもわたしばっかり・・・」
「そうやって自分ばっかりがんばってるみたいに言うのもやめて!わたしがどんな思いで実家を離れて、10年以上なんとかここまでやってきたかもわからないくせに!!だいたい、自分ばっかりって我慢してるって何なの?そういう態度でいるから、不満が溜まったりおかあさんみたいになったりするんじゃない!わたしはそんなの絶対に嫌。絶対に嫌!」
いつもまわりを優先して、自分を後回しにして、そして心身ともに疲れてしまった、母。
悲しかった。
悲しくて悲しくて悲しくて、でも怒りが止まらなかった。もう知らない、おかあさんのことだってもう知らない。母への怒りも溢れ出す。
ーだから言ったじゃない、どうしてもっと自由に生きようとしないの?なんで我慢してそこにいるの?それで病気になって。ばかみたい。
ーわたしが心理学勉強したの、おかあさんにしあわせになってほしかったからだよ。おかあさんの役に立ちたかったからだよ。
ーもう知らない、おかあさんのことだってもう知らない。もうずっとそこにいればいい!
慟哭。
もう知らない、と怒って電話を切った姉に、こっちはまだ言いたいことがあるんだと電話をかけなおす。出ない。留守電によくわからない言葉を残す。もはや母のことは関係ない。ずっと言いたくて言いたかった本音がへどろのように溢れてとまらなかった。
悔しくて悲しくて、泣いて泣いて泣き続けた。
わたしは、姉に、家族に、こんなに怒りをぶつけたことはない。言いたいことを、あらいざらいぶつけたことも。きっとカウンセリングがきっかけで2週間ほど感情を揺さぶり続け、夢を見たことで家族への怒りを掘り起こした直後だったからだろう。わたしは、生まれて初めて姉に本音をぶつけることができたのだった。
その後もわたしの怒りは止まらず、電話に出ない姉にメールをし続けた。文章にすると冷静に相手を追いつめられるわたしに、負けじと返してくる姉。
その日は間違いなくここ数年でいちばん涙を流し、眠りについた。次の日目をさましたわたしのまぶたは案の定ひどく腫れていて、何と怒りはまだ続いていて、その日会った誰彼かまわず前日のできごとを話した。
自分の正当性を証明したくて。いま思えばそれだけわたしも動揺していたということだろう。
もういいや、顏も見たくないと言われたけど、ずっと反論するのが怖かったおねえちゃんに初めて言いたいことが言えて、わたしは、もう、いいや。
実の姉と縁が切れるかもしれない、と思ったほどの衝突をしたわりに、わたしはスッキリしていた。これで縁がきれたらきれただと、なぜか妙に達観した気持ちだった。
・・・そして、次の日、母が入院した。
◆つづく◆