サン・トロフィーム教会の美しい回廊――ロマネスク様式とゴシック様式の折衷からなる―のなか、わたしは時間の感覚も忘れなかば呆然と立ち尽くしていた。中庭の木々の葉1枚1枚がようやく夕暮れへと近づきつつある太陽の光をあびてきらきらと輝いている。緑、というそのひとことではとてもくくれない色たち―。
・・・このままここにいたい。
ゆっくりと回廊のなかを歩きながら、なぜか修道女として活き活きと過ごしている自分を感じた。見えた、というのではない。何と説明したらいいのだろう、自分の想像のなかでその姿が見える、というのではないのだ。夢を見ているときと同じように、自分のこの視線を保ったまま、そのひとの「心情」が胸のうちでわかる。神さまに仕えること、そして同じ道をともにする人々のなかで率先してその役割を果たすことに心からのよろこびと使命感を持っている―。
あぁ、すごい、きびきびと行動しているな、年齢はいまのわたしよりもっと上だな、誰か年若い修道女を引き連れてる…?というところまで感じて立ち止まる。
これは―。
・・・これは、この記憶は、きっとわたしの前世のなかのひとつだ。
眉唾モノと言われてしまえばそれまでだ。反論なんて1mmもできないけれど、わたしは、いつの時代か神さまに仕えた過去があるのだろう。だって、あまりに近しすぎる。
いったいどれくらいの時間そこにいただろうか。最初は他に2-3人いた観光客たちもすでにいなくなっていた。ここで夜を明かすわけにもいかない。後ろ髪ひかれる思いで、回廊をあとにした。
☆☆☆☆☆
入り組んだ石畳の小道をホテルの方面へとあてずっぽうに歩く。行き止まりや遠回りをしながら、ホテルの前まで来たけれど、なんとなくそのまま通りすぎて河のほうへ歩いて行った。2分もかからず、河沿いの遊歩道につき当たる。
フランス4大河川のひとつ、ローヌ河だった。ゴッホが描いた「ローヌ河の星月夜」―。あの絵と同じ星あかりが見えるまで、まだもう少し時間がかかるだろう。南仏の陽はあきれるほど長い。防波堤のようなところに飛びのり、両足をブラブラさせながらぼんやりとたゆたう河の流れを眺める。
胸がいっぱいだった。アルル、来てよかった。






