ホテルからセーヌ川に向かって入り組んだ小道を歩くこと約10分。重厚な木のファサードが印象的なそのお店がお目当てのレストラン、”Allard”だった。
わたしが憧れてやまないみどりさん―フランス語を習っているマダムーから「雰囲気がとっても素敵、お料理も美味しいわよ」と事前に教えていただいていたそのお店にひとり意気揚々と乗り込んだのは、お昼の12時を3分ほど過ぎた頃。ゲストを迎える前のミーティングを終えたばかりのギャルソンたちが、慌てて持ち場に散って行くときだった。
ーだって、早く食べたかったんだもん。
ブランドものはもちろん、ショッピング方面への欲がまったくなかったわたしは、そのぶん「食べたいものを食べる」ことにしていた。それはつまり、料理を値段(と、カロリーの高低)で選ばないということ。いったんお店に入ったら、純粋にいま自分が食べたいと思うものを食べよう、値段を見て決めるのはやめようと思っていたのだ。お金の顔色を伺うのではなく、彼ら(?)にわたしのしあわせのために働いてもらおうと決めていた。
とくに、誕生日のランチならなおさら。
「今日のランチのコースは兎肉です」とおすすめしてくれた若く優しげな金髪のギャルソン氏に「兎肉は苦手だから」とコース以外の料理の相談をしたり、「それはわたしひとりでも食べられるサイズだと思いますか?」と確認したり、「前菜はこのグリーンピースのスープが食べたいけど、それはメインに合うでしょうか」と訊ねたり、ソムリエ氏に相談しながらそれぞれの料理に合うグラスワインを選んだり―「うーん、もう少し辛口のいいです」とかね―、一丁前にしている自分に自分で驚いた。わたし、いったいいつのまにこんなことひとりでできるようになってたの?
途中から右隣のテーブルにやってきた2組のアメリカ人カップルが、わたしの食べているメインの牛肉をみて“Wooow!”と目配せしてくる―わたしは彼らのこういうフレンドリーさが本当に好きだ―。さぁ、ここで無言でいては意味がない。「すっごく美味しいですよ。Highly recommended!(いちおし!)」と返し、カリフォルニアから来たという彼らと話をした。
〆のデザートには「タルト・タタン」(アップルパイ)を平らげーこれが運ばれてきたときも、隣からは“Wooow!”―、エスプレッソを最後の1雫まで飲み干し、伝票を持ってきたギャルソン氏の目を見て料理の感想と心からのお礼を告げ、コートを着せかけてもらい、店の外に出る。
“Been there, done that.”―昼間からシャンパンを1杯、グラスワインを赤白1杯ずつ飲んでほろ酔いになった頭に、なぜか英語の言い回しが浮かんだ。
わたしもいつか初めてパリに来たこと、こうして素敵なお店でひとり楽しい時間を過ごせた高揚感を忘れて、そんなこと言うようになるのだろうか。「そんなとこもう行ったし、それもやったよ、興味ないよ」と。
子どものように、毎日が初めての連続なんて日々はもう来ないのかもしれない。けれど慣れ親しんだものでさえ、新しい目で見ておもしろがれるようなひとでありたい。そして、今日のように大人になって経験した「初めて」に対して素直によろこべる心を、死ぬまで持ち続けたい―。
その日、Allardで何を食べたか、それはいつか忘れるときがくるかもしれない。けれど、そこでこの自分が何を感じていたか、それを、忘れることはきっとないだろう。






