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アーカイブ

【VOL.12】シスター

 

「困ったことがあったら、いつでも連絡くださいね!フランス語で何か交渉するときとか、本当にいつでも」。

 

帰りは老舗デパートのボン・マルシェでブリーチーズを1切れ、瑞々しいイチゴを1パック、ミネラルウォーターを1瓶買い込み―チホコさんいわく「お水のシャンパンっていわれるくらい、泡の細かいスパークリングウォーター」―、またふたりでホテルまでてくてく歩き、最後はそう言い残して去っていくチホコさんの後ろ姿を見送りながら、その場でしばしぼぉっと立ち尽くす。ひとの親切はいつだって心にしみるものだけど、見知らぬ土地で受けるやさしさや心配りの威力ったらない。しあわせだなぁ。ありがたいなぁ。紹介してくれたかともえさんにもちゃんとお礼をいわなくちゃ。そしてわたしも旅びとにはうんとやさしくするんだ。

 

“Bon Soir, Monsieur!”

(ボンソワー、ムッシュ!:ムッシュ、こんばんは!)

 

ただいま代わりに、ホテルの入り口をくぐりながらこんばんはのあいさつを送った。すぐ右手に位置する小さなフロントでは、毎日3人のムッシュが入れ替わり立ち代わり昼夜交代のシフトでデスクを守っている。

 

「○号室の鍵おねがいします」。

 

あ、またやっちゃった。

 

せっかく覚えてきた簡単なフランス語を使ってみようと思っていても、いざ彼らを目の前にするとつい甘えて英語でどうにかしようとしてしまう。はいどうぞ、とキーを渡されて“Merci(メルシー:ありがとう)”と返すのがやっと。

 

2人乗ればもういっぱいの、まるで千と千尋の神隠しに出てきたような旧式のエレベーターに乗って6階まであがる。自分でそのエレベーターの開け閉めをして、部屋に着いた頃には、すでに20時をとうにまわっていた。

 

☆☆☆☆

 

あー、これからどうしよう。

 

部屋に入り、さっそく買ってきたスパークリングウォーターで喉を潤しながら今日1日を思い返していた。

 

チホコさんのこと。旅の目的と出逢ったと思ったこと。メダイユ教会。そしてそこで感じたこと―。

 

―やっぱり、モン・サン=ミシェルとルルドに、行くべきなのかな。

 

窓の外には、日の長いパリの夕暮れに照らされたノートルダム寺院が見える。

 

☆☆☆☆

 

遡ることほんの1時間ほど。メダイユを買おうと、教会の入り口を出てすぐ左手にある売店のようなスペースに足を踏み入れたときのことだった。

 

ゴールド、シルバー、ブルー―ブルー!泉の色だ―、それぞれお土産用と自分用に数点のメダイユを選び会計に並ぶと、そこではアジア系のシスターがひとつひとつの品物を手にとり古い電卓を使って計算をしていた。

 

何やらたくさん買い込んでいたフランス人女性の会計がようやくおわり、わたしの番になったときだ。

 

“Bon Soir.”

 

と、シスター。

 

“Bon Soir.”

 

と、わたし。

 

「日本の方ですか?」

 

「え、あ、はい!」

 

フランス語でやりとりをされているその雰囲気でなんとなく日本の方ではないだろうなと勝手に思っていた。けれど、日本人のシスターだったのだ。チホコさんも隣で驚いている。

 

「お仕事ですか?」とやさしく問われて、「いえいえ、ただの観光です」と、あわてて否定する。みんなが仕事をしているあいだに旅にかまけていることに、まだ多少のうしろめたさがあった。もう、いい加減この罪悪感いやなのに。

 

そうですか、とにっこり笑ってシスターは続けた。

 

「ここはなにか、巡礼のひとつみたいになっているんですよ。ここにいらしてから、ルルドやモン・サン=ミシェルに行かれる方も多くて。昨日いらした方も、これからルルドに行かれるっておっしゃってたの」

 

そうなんですね…と返しながら、心のなかでひそかに思う。

 

シスターが次のメッセンジャー?

【VOL.11】祈り

 

もしも「祈り」というものが目に見えるとしたら―。

 

その場を埋め尽くすシスターに圧倒されつつも、チホコさんとふたり着席できるイスを求めて移動しながら思う。

 

もしも「祈り」というものが目に見えるとしたら、いまここにある祈りは澄んだ水―泉の色だ。森のなかでただ静かに湧き出て、あたりを潤す泉。

 

―清純。

 

そして心に浮かんだのはそんなひとことだった。いったい誰がこの場所を「息苦しい」なんて言ったの?そんなものはいま、ひとかけらもない。

 

「せっかくだから、カタリナ・ラブレの聖遺骸(ご遺体)の近くにまいりましょう。席も前のほうが空いてます」

 

チホコさんにうながされて、前方向かって右側の通路をいそいそと進む。シスターたちを差し置いて前のほうに席をとるのも若干気がひけたけれど、そこは好奇心がわずかに勝った。もちろん、あくまで失礼のないように。ほかにもちらほらわたしたちのような部外者(?)も交じっているようすなので、とにかく閉め出されることはないようだし。

 

ここで聖なるお告げを聞いたというカタリナ・ラブレの聖遺骸は、なんと没後130年あまりたったいまも腐敗することのない状態でここに安置されているという。「いや、どうせそういう処理のしかたをしてたんでしょうよ」と半信半疑で聞いていたわたしだが・・・前から3-4列目のイスに座ったいま、そのお姿がはっきり見える。

 

まるで、いま、ちょうど眠りに落ちたかのよう。

 

聖母マリアが出現したという祭壇の下、ガラスの棺のなかで手を合わせる聖遺骸を前に、わたしはしばし呆然としていた。

 

祈りって、なんなの。

 

☆☆☆☆

 

「祈り」というものをはじめて意識したのは、3.11、あの東日本大震災のときだった。茨城県の北部に位置する実家と連絡がとれなかった数時間、そしてこの世のものとは思えない映像をうつしだすTVを夜通しみていたあのとき—迫りくる黒い大波、不気味に燃えさかる炎—、できることといえばただ「祈る」ことだけ。

 

無力だった。それはもう、一寸の余地もないほど。後にも先にも、あれほど強烈な無力感を味わったことはない。

 

「祈っていてね」。

 

いま何ができなくてもいい、だけど、祈っていてね。

 

あのとき、ようやく連絡がとれた母はいった。うちは「被災した」なんてとてもじゃないけれど言えない程度の被害だ。けれどその後1週間、電気も水道も止まり食料も手に入らないという状況をただ見守るしかないなかで、祈るだけでいいから、というそのひとことでどれだけ救われただろうか。

 

奇跡が起きたというこの美しい教会で、祈りに囲まれながら思う。

 

わたしは、このわたしの祈りが大切なひとを救うというならここで何時間だって祈るだろう。ひざまずき、一心不乱に。そしてわたしの大切なひとたちも、彼ら彼女らの祈りがわたしを救うというなら、きっと同じように何時間だって祈ってくれるだろう。

 

祈りの力が本当にあるかはわからない。目の前のカタリナ・ラブレほどの信仰心を持ってすれば、それは死後130年経っても朽ちないからだを手に入れられる程のパワーになるのかもしれない。けれど、聖女でないばかりか俗世間の煩悩にまみれまくったわたしにとって、そんなことは不可能だろう。

 

でも―。

 

深呼吸をして、こうべを垂れながら胸に刻む。

 

わたしには、どうかこの祈りが届きますようにと心から願うひとたちがいる。そして、同じように心から願ってくれるであろうひとたちがいる。

 

そう信じられることが、この身の力にならないわけがない。

 

「いま、こうしてここにいられることに感謝します。どうかここにいるみなさんと、その大切なひとたちの願いが叶いますように」。

 

手を合わせた相手が誰なのかー聖母マリア?カトリナ・ラブレ?ーそれは自分でもわからない。でも1点の曇りもなくそう願った。

 

祈りの力とは、自分にはそれを捧げ合えるひとたちがいると心の底から知っていることで得られる、しあわせの力なのかもしれない。

【VOL.10】奇跡のメダイユ教会

 

「行ってみたいなと思ってたんです。でもなんだか行きそびれてて」

 

モンパルナス墓地を出て歩きながら、わたしは以前、ネットでこの教会について調べたことを思い出していた。そこを訪れたひとたちのなかには「とても気持ちのいい空気が流れていた」というひともいれば「雰囲気が重すぎて苦しくなった」というひともいて、それがわたしを多少、躊躇させていた。由来が由来だけに、自分あるいは大切なひとの病気の奇跡的な治癒を願ってその教会を訪れるひとも多いという。その必死の祈りの横で平常心でいられるかな、というひそかな心配もあった。

 

「じゃあちょっと場所がわかりづらいので、その前までお連れしますね。帰り道の途中に寄れますし。この時間だともう閉まっていると思いますけど、場所さえわかればまたひとりで来られるでしょうから」。

 

サンジェルマン・デ・プレにあるパリ最古のデパート、ボン・マルシェのほど近くに、そのメダイユ教会はあるという。

 

どのくらい歩いただろうか。帰りはボン・マルシェに寄って帰りましょう、右岸の有名デパート、ギャラリー・ラファイエットとはまた雰囲気も客層も違っておもしろいから、と話しながら….

 

「あ、あそこですよ」とチホコさん。

 

「んん?あれ、ちょっと待って、もしかして…」

 

振り返ったその目が、信じられないといっていた。

 

「みかちさん、開いてる!」

 

☆☆☆☆

「ここね、やっぱり不思議なところなんです」

 

チホコさんが興奮したようにいう。

 

「わたし、何回も色んなひとを連れてきたことがあるし、一緒に来なかったとしても、ここに来ようとしてたひともたくさん知ってるんですけど」

 

ここが教会?

 

これは確かに見逃しそうな、通りに面した何のへんてつもない入り口から奥へ進む。教会は奥にあるらしい。

 

「クローズしているような予定じゃなかったはずなのに、教会自体が閉まってたり、ここまで来ても雰囲気をみて『あぁ、ちょっと入りたくない』っていうひともいるし、ひとりで目の前まで来てたのに入り口が見つけられなくて結局入れなかったっていうひともいるんですよ」

 

教会ーというより、一見ふつうの建物だ―の前にある、掲示板のようなものをチェックしながら、チホコさんは続けた。

 

「たぶん、そのとき必要なひとしか入れないんじゃないかな。だって、今日なんてもう19時なのに開いてるし...。ほらこれ、掲示板にも、『この日は例外で遅い時間迄オープンしてます』って書いてある日時のなかにも、今日の日付はないですもん。すっごくラッキー。いや〜、みかちさん、やっぱり何かありますね〜」

 

わたしの疑い深い左脳は「いやいやいや、偶然だよ、何にでも理由をつけようとしちゃだめだよ」という。

 

でも、右脳は「そうだよ、だってわたしが来ないで誰がくるの?」といっていた。

 

ともあれ、まずは教会に入ろうとなかを覗いて、息をのむ。

 

そこでわたしたちが見たのは、教会を埋め尽くすシスターたちだった。