【VOL.32】ピエタ

 

洞窟への入り口の前には小さな広場があり、山の上からの景色を一望できる場所には、そんな絶景に背を向けるように洞窟側を向いたピエタ像が置かれていた。

 

十字架から下ろされたイエスを膝にかかえ、空を見上げて嘆き悲しむ聖母マリア。そしてイエスの身に顏をうずめるマグダラのマリア―。

 

―悲しい。

 

止める間もなくみるみるうちにあふれた涙が、ほおをつたってハラハラと落ちた。

 

―悲しい。

 

深い深い深い哀しみが足元からやってきて、一瞬のうちに全身を浸す。まるでこの体のどこかにある感情の蓋が大きく開ききったかのようだ。わたしはもう動けない。

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

この哀しみはいったい誰のものなのだろう?

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

―悲しい・・・

 

この涙はいったい誰のものなのだろう?

 

泣きながら、それでも頭の一部分が妙に冷静に動いていた。
この涙はわたしの涙じゃない。この涙は―。

 

深い哀しみと絶望の怒りが嵐のように体を突き抜ける。唐突にやってきた確信が胸をつく。

 

この涙は、すべての女性の涙だ。

 

ひとを愛したすべての女性の涙だ。

 

愛するひとを―恋人を、子どもを、大切なひとを、あらがえない力によって失いつづけてきたすべての女性の涙だ。

 

―どうして生んでは奪われないといけない?

 

男たちがもっともらしく語る抽象的で大きな何かより、いつもただ目の前の愛する存在を守りたかった女たち。

 

わたしたちはこれからもこれを続けなければいけないのだろうか?

 

―どうして?どうしてまだ苦しもうとするのですか?

わたしたちがもう背負ったのに―。

 

はっと振り返る。

 

洞窟のなかではミサが行われている。

 

マグダラのマリアはそこにいる。

 

☆☆☆☆

 

神父さまのまるで歌のように節をつけた説教―いや、あれは本当に歌そのものだった―を頭をたれてきく人々。ところどころ、みなそれを同じように復唱する。歌うように。メロディを持って。みなそれぞれ山歩きの格好をしているところが普通の教会に集まるひとびととは違うけれど、その真剣なようすと美しいメロディに心打たれる。

 

洞窟のなかは薄暗く、ロウソクの灯りとステンドグラスを通して差し込む光が神秘的な空間をいっそうこの世離れした雰囲気にしていた。正面にはイエスの磔刑像、そして足元にひざまずくマグダラのマリア像。ほかにもいくつかのマグダラのマリア像が配置され、通常の教会と同じようにベンチが並んでいる。

 

ミサの邪魔にならないよう、洞窟のなかのいちばん後ろのベンチにひとり静かに腰をおろした。ここでもわたしは真剣な信徒たちに交じって静かに号泣しているヘンなひとだ。せめて周囲にバレないように目をハンカチで押さえて下を向く。

 

美しく厳粛なミサが終わり、一斉にひとが立つ。記念写真をとる家族。ゆっくりと洞窟内を見てまわる老夫婦。正面のイエスの磔刑像の下に並び、笑顔で写真を撮るまだ30代とおぼしき夫婦と5人(!)の小さな子どもたちをぼーっと眺めながら、何かがぽっとわたしのなかの感覚をつかまえた。それを、それを言葉に変換するとするなら―。

 

―あぁ、わたし、子ども欲しいな。

 

それはなぜか諦念のようだった。あらがってあらがって見ないようにしてきた、全力で逃げてきたものがいま不意打ちでわたしをの右腕を捕まえる。わたしは諦めたようにそちらを向いていう。あぁ、追いついてきたんだね―。

 

これまでどうしても、子どもを持つということを前向きに考えられずにきた。理由は挙げればキリがない。だから、結婚して、さぁ次のステップとばかりに何の疑問も持たず(・・・と、いうようにわたしには見える)子どもを生んでいくひとたちのことが本当にわからなかった。対立したいわけじゃない。否定したいわけでももちろんない。ただ、心底不思議だった。どうしてだろうと思っていた。どうして彼女たちは自然にそれができて、わたしはできないんだろう。わたしはおかしいの?

 

けれどそんなわたしも、34歳という年齢のこと、そしてもうずいぶん前から子どもが欲しいと言っていた相手のこと、色々なことを考えたとき「そろそろ」と重い腰をあげる気になっていた。旅に出ると決めた理由のひとつだって、もし子どもができたらこんな気ままなひとり旅なんてしばらくはできないと思ったからだ。

 

でも、あくまでそれらすべては「頭」で考えた結論だったのだと気づく。

 

―わたし、いま初めて「心」で子どもが欲しいって思った。

 

生む性である女性の、深い哀しみに触れたからだろうか。わたしのなかの女性性が、その哀しみの深さと同じくらいに膨大な愛情を見つけた。ほかでもない、この自分のなかに。

 

そこには世界中の哀しみと、世界中の愛があった。

 

―どうなっちゃうんだろう、わたし。

 

フラフラと立ち上がって洞窟のなかを進む。とにかくすべての像を見てみよう。また不思議なことばがわたしの体を通って降りてくるなら、きっとこれから必要なことをわたしに教えてくれる。

 

ふと振り返って入り口の外に見えるピエタ像を確かめる。

 

ピエタ(Pietà) 、その意味はたしか、哀しみと、慈悲―。

 

【vol.31】王の道

 

身を隠す木陰もないなか太陽が容赦なく降り注ぐ平原のなかの道を1-2kmほど歩いただろうか、ようやく入山口まで辿り着く。ここからが本格的に洞窟への道だ。

 

「さて、と・・・」

 

目の前で、道が二手に別れていた。洞窟までは、古くからある整備されていない険しい道と、歴代のフランス王たちが洞窟へと巡礼するためにと整備された「王の道」、2通りの登山道があるという。この地を訪れたすべてのひとが、ここでそのどちらかの道を選んで登っていくのだ。

 

―どうしよう、どっちが古くからの道だっけ?

 

事前にインターネットで情報を仕入れていたわたしは、ここにきてすっかり左右どちらがより険しい昔からの道なのか、どちらが登りやすい「王の道」なのかを忘れてしまっていた。

 

―あー、しまったな。完全に忘れちゃった。

 

山登りにはまるで自信がないけれど、せっかくだからこの際、険しいほうの道を登ってみたいと思っていた。王様用にお膳立てされたきれいな道なんかじゃない、古くからの巡礼者が登った道。もしかしたらマグダラのマリアも登ったかもしれない道。

 

ふと右手に伸びる道のほうをみると、少し先に軽装の老夫婦がゆっくりゆっくり歩いていく姿が見える。靴も街歩き用のものだ。

 

一方、左の道に目をやると、両手にスティックを持ち、山歩き用のシューズにリュックを担いだ中年のカップルがみえた。服装も完全にアウトドア仕様。

 

―ということは、左のほうが険しい道かな。

 

こころもとない気持ちで、左の道に向かう。

 

☆☆☆☆

 

ざっざっざっざっ・・・。

 

自分が小石と落ち葉を踏みしめる音、時折風が木々の葉をゆらす音、鳥の声だけが耳に響く。静寂とは決して何も聞こえないことではないんだな、と自然の生む音を聞きながら思う。

 

登山道の脇の名前も知らない小さな白い花に目をとめ、ときおりまぶたに日光浴をさせてあげようと木々のあいまから差し込む光に顏をあげ目を閉じる。ざくざく道を登りながら、これは確かに普段のわたしの生活にはないくらいハードな道だけれど、と思いはじめた。

 

―でもこれ、「王の道」じゃないの・・・?

 

事前に調べていたようなけもの道ではないし、息はあがるけれど手をつかってのぼるような局面もない。

 

―でもあの重装備のカップルも登ってたし。。

 

ゆっくり登って20分ほど経った頃だろうか。整備された美しいわき水飲み場を発見して、疑惑は確信に変わる。わ、わたし、「王の道」登ってる!

 

せっかくだったのに!ラクな道を選んでしまった!!―。自分でも少し驚くほどにショックを受け、そうしてショックを受ける自分があまりに滑稽だと思った。

 

―あぁ、わたし、これとまったく同じことを人生でもしてきてる。

 

ひとりごとが、妙にクールな頭をよぎる。

 

最後に得られる結果は同じなのに、本当はきれいに塗装された道をすいすい行ったっていいのに、わざわざ自分で大変な道のほうを選ぶ。そしてその途上でひぃひぃつらがっているのだ。なぜって?だってそのほうが、がんばった感じがするから。だってそのほうが、手にしたものの価値が高い気がするから。だってそのほうが、えらい気がするから―。

 

とぼとぼと歩きながら思った。イタい、イタすぎる。

 

何かのために避けられない苦労をするのとはわけが違う。こんなの、完全に個人の趣味としての苦労じゃないか。だって選べるんだもの。なのに自分でそれを選んだということに気づいてすらいない。そしてそれが当たり前となると、ラクな道を選ぶことができなくなるのだ。悪いことをしている気がして。自分にはそんな資格がない気して。

 

何かがおかしい。

 

でもいまのわたしにはそれを正す方法がわからない。

 

☆☆☆☆

 

冷たい湧き水でハンカチを濡らし、おでこにあてた。ところどころ降り注ぐ太陽の光で思ったより暑い。

 

「王の道」とはいえ、途中、標識のようなものはほとんどない。ただひとり黙々と山を登り続けていると、上から30代後半くらいの背の高いお父さんと5歳くらいの双子の女の子が手をつないで降りてきた。女の子たちは手に木の棒をもって前後にゆらしながら、何か一生懸命おしゃべりをしている。3人とも同じプラチナブロンドの髪がきらきらと輝いていた。

 

わぁ、あんな小さな子でも登れるんだ。

 

“Bonjour!”

 

あいさつをかわしてすれ違ったあと、胸のなかがざわざわしている自分に気づく。なんだろう、なんで泣きたくなってるんだろう。

 

胸に生じた疑問をそのままにしてまた黙々と登る。

 

☆☆☆☆

 

ふもとから登って45分ほど経っただろうか、“Lieu de silence”(沈黙の場所)という標識が見えた。聖域に入るのだ。上を見上げると、岩肌の横に小さな修道院が見える。もうすぐだ。

 

“マグダラのマリアの聖域”

 

大きな看板に迎えられた先には、岩肌に沿って整えられた150段の階段が見える。ふもとで2つに別れた道も、ここからはひとつになるのだ。さすがに息があがった最後に、この階段を見せられるのはきつい。イエスが十字架を背負って歩いたゴルゴダの丘を模したという、階段―。

 

それでも1歩1歩登り、階段も終盤にかかると―。

 

ここまで登ってきた者を出迎えるように岩と木戸でできた小さな門があった。そのちょうど真上、険しい岩肌のあいだを削った場所に、イエスの磔刑像、そして聖母マリア、十字架のもとにひざまずくマグダラのマリアがみえる。神父さまと数人のクリスチャンの信徒が一心に祈りを捧げる姿が見えた。

 

―苦しい。

 

心臓が早鐘を打つ。ここから先はもう空気が違うのがはっきりわかる。怖い。けれど同時に、早く行かなければと気が焦る。

 

―着いた。

 

マグダラのマリアの洞窟だった。

【vol.30】サント・ボームへ

 

翌朝、レストランで朝食をすませたわたしは、回廊のなかにある緑の庭のイスに座りコーヒーを飲んでいた。春とはいえ朝晩は寒いくらいだ。水色のたっぷりしたセーターの袖を限界までのばしてかじかみ始めた手の寒さをしのぐ。

 

今日はついにサント・ボームに行くんだ。

 

朝からそわそわしていたわたしは、そのまま部屋には戻らずに教会とホテルのあいだにあるツーリストインフォメーションが開く時間を待っていた。回廊ならわたしは何時間でもいられる。大きく深呼吸して回廊部分にある窓々に目をやると、どこからか白いハトがやってきてとまった。

 

白いハトは、キリスト教の三位一体の聖霊をあらわすシンボルだ。

 

―幸先がいいな。

 

やっと9時になる。コーヒーを飲み干し、ツーリストインフォメーションへ向かった。

 

☆☆☆☆

 

「サント・ボームの洞窟に行きたいんですが」

 

始業時間と同時にやってきてそんなことを聞くわたしに、デスクにいた白髪の上品なマダムはゆっくりと目をあげた。

 

「車はありますか?」

 

「いえ、ないんです」

 

「そうですか…」

 

チェーンのついたメガネを書け直し、少し考えるようにしながら地図を取り出し、こちらに向ける。たしかにここを訪れるひとのほとんどは、自家用車かレンタカーでくるだろう。こうして改めてマダムの出してくれた地域の地図を目にすると、そりゃそうだという気になってくる。小さな小さな南仏の街、そして向かうのは山の上。

 

「バスで行けないこともないけれど、いったんこの街までいって、そこからタクシーに乗らなければいけません。そこから結局サント・ボームまでは○ユーロかかってしまうから、少し高くなるけどここからタクシーで行ったほうがいいと思いますよ」

 

地図に印をつけながら、ゆっくり丁寧に説明してくれる。

 

「山の下までタクシーで行って、そこからは自力で登る必要があります。ふもとから洞窟まで45分から1時間くらいですね。毎日ミサがあるから、急いで出ればそれに間に合うかもしれません」

 

英語が話せるドライバーの電話番号を書いてあげましょう、ホテルのフロントで呼んでもらうといいですよ、とマダム。

 

「ありがとうございます!」

 

笑顔でお礼をいってツーリストインフォメーションを後にする。たくさんのひとにありがとう、という旅だなと思いながら。

 

☆☆☆☆

“Je suis Schumacher.” (ぼくはシューマッハだよ)

 

1時間後、わたしは軽快にオヤジギャグを飛ばすポールさんの隣に座っていた。

 

くねくねと曲がった山道を猛スピードで登るタクシードライバー、ポールさんに、んなわけなかろうと突っ込みのひとつも入れたいがフランス語が出てこずひきつった笑いを返すしかない。

 

ホテルのフロントにツーリストインフォメーションのマダムからもらったタクシードライバーの電話番号を渡し、やってきたのがポールさんだった。値段交渉をしようとするも・・・あれ?

 

「あの、英語話されますか?」

 

「ノン(堂々たる笑顔で)」

 

英語の話せるドライバーって話だったのでは・・・と思うも、もめている時間がない。それにここはフランスだもん、英語でどうにかしようとするわたしのほうが悪いんだよねと自分に言い聞かせつつ助手席に乗り込む(なぜか後部座席ではなく助手席に乗せられた)。

 

―このポール氏が悪いひとだったら一巻の終わりだわ。

 

ホテルが呼んでくれたタクシードライバーとはいえ、言葉もほぼ通じない見知らぬおじさんと車に乗り込むのは緊張するではないか。

 

・・・という心配もどこへやら、彼はフランス語で、わたしはカタコト以前のフランス語と英語で、サント・ボームのふもとまでの40分ほどのあいだおしゃべりしながらいたってすこやかに過ごしたのだった。話すことがなくなれば、外の景色を眺めればいい。頻繁にあらわれるぶどう畑、誰かさんたちの別荘、大きなゴルフ場―。

 

「あ、水を買ってくるの忘れちゃった」

 

ふもとに水を買えるところがある?と聞くと、身振り手振りで「後ろにつんであるからあげるよ」というポールさん。

 

すごくいいひとなのだった。

 

すこーしだけ疑ってごめんね、と心のなかで謝る。

 

☆☆☆☆

 

「じゃあ、3時間後にまたここで」

 

そう言って、ポールさんに手を振った。彼は1度街に戻り、わたしをまた迎えに来てくれるという。お金はいま半分払っておこうか?というと帰りにまとめてでいいよ、と彼。

 

いいひとなのだった。

 

―最初の値段交渉で、値切って悪かったな。

 

目の前にひろがるサント・ボーム山塊は、覚悟していた以上に「山」風情だった。ひとりで登れるものだろうかと、早くも不安になる。ふもとには小さな食堂兼お土産やさんと、修道院とおぼしき建物がある以外は広い芝生のエリア、背の低い木々、畑が延々とひろがっていた。

 

ポールさんからもらった水をひとくち飲んで、畑のなかの道を進む。まずは山の入り口まで行き着かなければならない。

 

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