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【vol.29】小さな街の大きな教会へ

 

乗客もまばらな高速バスは、エクスのバスターミナルを出発してグングンとスピードを上げていた。遠くに見えるゆったりとした山々、緑と土色のコントラストもきれいな畑たち、道ばたで咲き乱れる菜の花の海。

 

こんなところまで来てしまった・・・。

 

畑のなかに点在する農家のオレンジ色の屋根と建物をじっと見つめがら、ここに住むひとびとの暮らしに少しだけ想いを馳せる。いったいどんなひとたちが住んでいるんだろう。彼らにはどんな楽しみがあって、どんな悩みがあるんだろう。仕事の愚痴を言ったり、週末には久々に会う家族の訪れを楽しみしたり、子どもの成績のことで頭を悩ませたり、しているのだろうか。

 

彼らの人生とわたしの人生は、きっとこれから先も一生交わることがない。ことばも習慣も違う彼らが、けれどきっとこのわたしと同じように何かに笑ったり泣いたり、怒ったり悩んだりしてあの屋根の下で生きている。

 

その事実、その不思議。

 

―わたしはこれから先、いったいどれくらいのひとの人生に関わることができるんだろうか。

 

見知らぬ土地でひとりバスに乗り、そんなことを考えていたら妙にしんみりして胸が詰まった。

 

「デデデデデデデン♪デデデデデデデン♪」

 

・・・のも束の間、なぜかドライバーが突然CDをセットし、この心象にまったくそぐわない昔のロックが流れてきておかしくなる。あははは、雰囲気台無しなことこのうえない。

 

乗客たちはみな静かに目的地まで昼寝を決め込んでいた。車内にはエレキギターの音だけが響いている。

 

☆☆☆☆

 

旅のなかで心細く感じた瞬間は何度かあるけれど、どれかひとつを挙げろといわれればダントツでこの日のこの瞬間だろう。夕方、目的地のサン・マクシマンのバス停でひとり下ろされたわたしは、文字通り途方にくれていた。バス停の目の前にあるのは高校だろうか、大きな校舎から生徒たちが一斉に出てくる。みな日本人のわたしの目からすれば大人っぽく見えるので、男子生徒たちが数人グループになるとちょっとした迫力だ。思わず身構えながら、とにかく街の中心部に行こうとポーカーフェイスのまま目を皿のようにして標識のようなものを探す。

 

ポーカーフェイス、ポーカーフェイス。

 

あきらかに困った様子を見せたりキョロキョロしていると、誰に目をつけられるかわからない。

 

ポーカーフェイス、ポーカーフェイス・・・。

 

とそのとき、別の高速バスが到着し、数人の大人たちがバスを降りてきた。見れば、みな同じ方向に向かって足早に歩いて行く。

 

―あっちだな。

 

あたりをつけて、彼らの後を追う。え、ここ通るの?え、本当にこっち??と思うような道―建物の横を通り抜け、細い砂利道を行く―を数分歩き、やっと(やや)広い道路に出た。あった、標識だ。

 

バシリカ(教会)へはこっちの道か・・・。

 

ほかに目立った観光名所のない小さな街だ。標識には、わたしが行く予定の教会と、その教会の横にある修道院を改装したホテルの案内くらいしかなかった。

 

心細い気持ちはそのままに、スーツケースをゴロゴロとひきながら歩く。ちょうどディナータイムが始まる頃なのだろう、道の脇のレストランではテーブルを整えるスタッフたちの姿が見えた。

 

アスファルトから石畳の道へと入り、今度は店じまいを始めるひとびとのなかをゆく。隣の店で働く者どうし、軽くおしゃべりをしながら。仕事が終わった母親に、子どもたちがまとわりつきながら。

 

なんだろう、これと似た雰囲気知ってるな、と思い、京都のお寺の近くにある門前町と同じなのだと気づく。観光客向けに、細々したお土産を売るお店・・・。

 

ということは。

 

道の先に目をやると、教会が見えた。夕日を受けてオレンジ色に輝いている。

 

☆☆☆☆

 

サン・マクシマンのサン・マリー・マドレーヌ教会は、ゴシック様式の教会としてはプロヴァンス最大のものだという。小さな街の、大きな教会。ここから小1時間ほどいった山の上にあるサント・ボームの洞窟で祈りと瞑想を捧げたマグダラのマリアが死したあと、その聖遺骨をここに葬ったとされている。

 

―来ちゃった。

 

まるで突然、恋人の家を訪ねる気分だ。逸る気持ちをおさえながら教会の入り口まで辿り着き、そっとなかに入る。

 

と、パイプオルガンの幾重にもかさなる響きが全身をまるごと包み込んだ。こんな時間に?教会の後方上、オルガンを見上げると、演奏者とそれを見守る男性がいた。何かの練習だろうか。

 

ラッキーだなぁ。

 

思いがけず、美しい音楽の出迎えを受けて顏がほころぶ。ここはパイプオルガンも有名で、聴けたらいいなと思っていたのだ。

 

息をひそめてその場にじっと佇んだ。古い古い建物のにおい。神さまの音楽。目をつぶり、深い呼吸を繰り返す。

 

―誰かがとてもよかったという映画が、自分の琴線にはまるで触れないことがある。あるいは誰かが人生で最も影響されたという本が、自分には何の意味を持たないことも。

 

不思議だった。ここ、サン・マクシマンの教会で、わたしの琴線はまるで動かなかったのだ。彼女の存在に、これまででいちばん近づいているというのに?

 

サン・マリー・ドゥ・ラ・メールの黒いサラの教会でとめどなく溢れた涙は、いま1滴も流れる気配がない。胸に迫るものも、降りてくることばもない。

 

しばらくそこで立ち尽くしたあと、わたしはそっと教会をあとにした。

 

感覚が違うと告げていた。わたしには、いや、少なくともいまのわたしには通じる場所ではなかった。

 

すっかりひと気のなくなった教会前の広場に、陽の長い南仏の夕暮れが迫る。石畳のうえにはもう土産物屋の面影もない。

 

スーツケースをひくゴロゴロという音だけがあたりに響いた。いまここにいる自分が一気にリアリティをなくす。ここはいったいどこ?こんなところでひとり、わたしは何をしているの?

 

日本を出発する前から何度も何度も振り払ってきたことばが、亡霊のように頭のなかによみがえってくる。こんないい歳した大人になって―みんなは日本で働いているというのに―仕事でも勉強でもないのに―。

 

わ た し 一 体 な に を し て い る の ?

 

心細さに追いつかれないよう、大股で歩く。ダメだダメだ、この声に耳をかしたらダメだ。立ち止まっちゃダメだ。意味なんて求めないと決めたじゃない。行動することすべてに理由なんてなくてもいいと。

 

誰でもいい、早く誰かとことばを交わしたかった。

 


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