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「好きなことにしている」、と「本当に好き」は違うのだ

 

昨年の晩秋、思い立って身の回りの細々したものをイチから買いそろえた。もともと使っていたものがある上でのことなので、買いそろえた、というより一新した、というほうが日本語としては正しいかもしれない。

 

インテリアや食器類にさほどこだわりがないわたしは、いままでなんとなく食器は白でまとめていてーそこに引き出ものでもらった、”ベストではないけどワーストでもない”食器たちがまざるー、それは、雑誌や本やスタイルブックの写真から、「おぉ〜、素敵な暮らしって感じ!」とインスパイアされて揃えはじめたのが発端だった。そこには「シンプルに暮らす」とか「スタイリッシュ」とか、”オシャレ生活”への憧憬もあったように思うし、色んな色、柄を取り入れてなおかつおしゃれに暮らすなんて自分には難しすぎる、とはなから諦めていたフシもある。

 

けれど、久しぶりに「さぁ、本当に自分の好きな食器を買ってみよう」と思って出向いたお店でわたしが選んだのは、なんとまじりけなく真っ赤な丸いプレートと、赤みがかったオレンジのマグカップーしかもスマイルマークがついているーだった。

 

おい、どうした、と思った。おいどうした、わたし。

 

家に帰って冷静に考えてみるに、わたしはたしかにこういうカラフルでキッチュなものが好きだということだった。その傾向はときどきチョロりと発揮されて、なんてことはない文房具ーペンやハサミ、そして愛してやまないポストカードーでついこうした「カラフル&キッチュ」なものを買っていることがある。何より家にある白いお皿たちの存在を一切無視したときに出てきた選択肢がこの「赤いプレート」と「オレンジのマグ」だったことが自分でも想定外だった。

 

☆☆☆☆

 

「こういう生活がしたい」「こんなひとになりたい」という像を思い浮かべて、そこから逆算して洋服を買う。スタイルを決める。身の回りのものをそろえる。女性にはままあることだと思う。わたしもそうだったし、それは「なりたい自分」をつくっていくプロセスのようでたいそう楽しいことだった。

 

けれどその「スタイル」に固執してしまうと、日々のなかで本当は刻一刻と変わっている心の動きを「なかったこと」にしてしまう作用もあるのだとこのとき気づいた。「好きなことにしている」ものと「その瞬間瞬間、本当に好きなもの」は違うのに、「スタイル」に合わせてモノを買う。選ぶ。何より恐ろしいのは、そんな小さな「好き」をないがしろにしていると、際限なく感性のアンテナが弱っていくということだ。自分の「好き」や「嫌い」、「やりたい」「やりたくない」の感覚が鈍り、果てには何かにつけ「どっちでもいい」と言い出す。「とにかく好きなものに囲まれて暮らしたい!」と発作的に思って買ったプレートとマグを前に、あぁ、最近のわたし、そんな投げやりな感じだったな、としんみり思った。

 

シンプルな暮らしやスタイリッシュな暮らしも憧れるけれど、そうか、いまのわたしは「カラフル」で「キッチュ」なものがが欲しかったんだね、そんなものに囲まれて暮らしたかったんだね。そんな気持ちを「なかったこと」にしててごめんよ、と自分にそっと謝った次第です。


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