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2015年学んだこと、気づいたこと

 

1.  直感と感性を信じる勇気をもつ

 

今年は4月に1ヶ月間フランス-イタリア旅をしてきたことがとても大きな経験となった。「読まない、書かない、考えない」という、普段のわたしなら発狂しそうなルールを自分に課してただ感性と直感に従う旅をして思ったのは、直感とはすなわち魂の声であるということ。そしてそれに従うことは、自分のちっぽけな頭で考えた結果以上のものに出逢う予兆であること。

 

魂の声は、普段よほど気をつけていないとマインドの声(論理的、理由を求める、損得を考える)や感情の声(やたら落ち込んだりテンションがあがったり)に瞬殺されてしまう。その小さな小さな声を聞き分けるための聡明さとそれに従う勇気を、旅という非日常のなかだけではなくこの日々の生活のなかでも持ちたいと思う。

 

2. 大嫌いを認めたら、大好きが出てきた

 

今年の夏は実家において様々なドラマがあった。そのなかでわたしは本当にたくさんのことを学んだのだけれど、ひとつだけ言うとしたらこれ。いままで家族を嫌いなんて思ってはいけないとどこかでブロックしていたらしいわたしは、その反動で家族のことが好きだと手放しで思うこともできなかった。大事な存在だし、ありがたいと思っていて・・・だけどモヤモヤする、というのがわたしにとっての家族だったのだ。

 

けれど、家族にまつわる諸々のドラマのなかで初めて姉と大げんかをしてー縁が切れてもいいと思ったほどーいままで言えなかった本音をぶちまけたことで、逆にわたしはやっとやっと姉が大好きだと思えるようになった。おねえちゃんなんて嫌い、大っ嫌いと思う気持ち、そんなこと家族に対して思っちゃいけないと自分のなかでタブー視してきた気持ちを認めたことで、同時におねえちゃん大好きという気持ちの蓋も同時にパカッと開いたようなのだ。

 

わたしは結局家族にはこうあってほしいと子どものように勝手に期待していたのだろう。理想の親像や理想の姉像を押しつけていた。自分だって理想の娘像や理想の妹像を押し付けられたら嫌なのに!世のなかの多くのひとたちは、たぶんこれらのことを反抗期や思春期に乗り越えるんだろう。それを思えば何をいまさら、と情けない気分にもなるけれど、それでもわたしにとってはとても大きな変化だったし、ここまでこれた自分をやっぱりちゃんと褒めてあげたい。

 

3. 人間は多面的であり、それを責めることは誰もできない

 

自分に、ひとに、世界に誠実でありたいというのがここ数年のわたしのテーマのひとつだった。誠実であるということは、自分にもひとにも世界にも同じ顏を見せるということで、確かにそれができているときはとても生きやすい。なぜなら顏を使い分ける必要がないから。

 

けれど、今年のわたしは自分のなかに自分でも知らなかった側面をたくさん見つけてしまった。ダークな部分、卑怯な部分、ひとには言えないと思ってしまうような部分―。

 

そっか、自分のなかにこんなものがあったんだと気づいたわたしは、同じようにダークな部分を持つひとを責められなくなった。だってきっとそれには彼らなりの理由があってーたとえそれが自分にはどれだけ共感できないものでもー、何より本人たちだってその扱いに四苦八苦している最中なのだろうから。

 

☆☆☆☆

 

ということで、2015年はわたしにとって内面で多くの変化があった年だった。外からはわかりにくいし、何もしていないように見えるけれど(自分でもそう思っていたけれど)、いやいや、わたし、結構がんばりました。

 

この1年で得た「内」の学びや気づきを持ちつつ、2016年は「外」の年にしたい。ただ行動する、1秒でも長く「外」にいる、そこで見える景色を楽しむー。

 

壮大な目標をたてるとそこで気持ちよくなって終わってしまいがちなので、これくらいの軽いグリップで2015年を閉じ、新たな年を迎えようと思う。

 

そして今年お世話になったすべてのひと、今年出逢ったすべてのひとに感謝を込めて。これを読んでいるあなたのことです。あなたがいなければ、今年のわたしはいませんでした。


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