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「恥」をつかうなら「個性」なんていうな

 

お正月、親戚の集まる席で印象的なできごとがあった。

 

2歳になる男の子がおかあさんに抱っこしてほしい、と甘えたとき、その子の祖母にあたる年配の女性が「わー、もう2歳になるのに恥ずかしい!」「そんなこと言ったら恥ずかしいよ!」と大きな声でその子に言ったのだ。あれは相手が子どもだったし、指摘した内容がかわいいものだっただけで、その女性の言動ははっきりと「相手に恥をかかせる」ことを意図したものだったと思う。

 

どうして大人は子どもにだって自尊心があるということを忘れてしまうんだろう?あぁ、こんなふうにしつけられたらひとの目を気にする子になって当然だよなぁと思うと同時に、せめてその女性が同じ口で「個性を伸ばしなさい!」なんて真逆なことをのちのち彼に言い出さないようにと願った。

 

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「恥」という感情は、ひとを「みんなと同じ」に向かわせる機能がある。みんなができている(と本人が思っている)ことが自分にはできない、と思えば情けなくみじめな気持ちになるし、何とかみんなと同じレベルに達しようとする(が、できないこともある)。そして逆にどうやら自分だけこれができる、何だか自分だけみんなと違う、というときも必死でそれを隠そうとするひとがいるが、そのどちらもが「恥」のしわざなのだ。悲しいのは、その「足りないところ」や「突出しているところ」、「ひととは違うところ」こそがそのひとの個性なのだということに、多くのひとが気づかないということだろう。

 

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日本では「〜すると(or〜できないと)恥ずかしいよ、笑われるよ!」と子どもをしつけることが珍しくないけれど、そろそろそういうのやめようよ、と思う。たしかに日本人の団結力や統率力には目を見張るものがあって、それはこの「恥」を使った「みんなと同じ」戦法のおかげだったのかもしれないけれど、だったら「自分らしく」とか「個性を伸ばして」とか「ひとの目なんて気にするな」なんて言っちゃだめでしょう。そんなの完全なダブルメッセージだもの。「自分らしく生きる」というのはつまり自分の軸、自分のモノサシを持って生きるということだけど、ひとからどう思われるか、どう見られるかという他人軸で育ってきた人間には、それが一朝一夕にできるものではないのだから。

 

※「恥」について学ぶにはBrené Brown(ブレネー・ブラウン)のTEDトークや書籍がオススメです。TEDトークのスピーチは抜群のうまさ、おもしろさでスピーチ英語の勉強にもぜひ。


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