ある日の夕方、サルトルやボーヴォワールも通ったという老舗のカフェ「レ・ドゥ・マゴ」のテラス席で白ワインを飲むというミーハーな野望を叶えたわたしは、オデオン駅近くのホテルに向かってブラブラと歩いていた。
今夜のごはんは何にしようか、またモノプリ―素敵なスーパーマーケット―でチーズとワインを買ってホテルの部屋でゆっくり飲もうか、それとも気になっていたあのビストロに行ってみようかとわくわく考えながら歩いていると、行く手に神殿かと見紛うような立派なファサードの建物が見えてきた。
これは・・・。
地図も見ずに歩いてきたけれど、位置的に、これはたぶんあのサン・シュルピス教会だろう。
パリの左岸、サン・ジェルマン・デ・プレにあるサン・シュルピス教会は、ドラクロワのフレスコ画や世界有数のパイプ・オルガンがあることで知られる有名な教会だ。小説・映画ともに大ヒットした「ダヴィンチ・コード」のなかでも“ローズ・ライン”のある場所として重要な舞台になっていたから、なんとなく耳になじみがあるというひとも多いかもしれない。
入り口付近にホームレスとおぼしきひと数人がいて近づくことに少し躊躇したけれど、そのまま教会内に入る。
後方の巨大なパイプオルガンを見上げつつそのまま内部を前方に進むと、ちょうど祭壇の後方に聖母マリアの礼拝室があった。
なんとなくそこのイスに座り、ローソクの灯りに照らされるマリア像を見上げる。
「きれい・・・」
そのマリア像の美しさに、思わずつぶやいたそのときだ。
突然、わたしの両目から涙があふれてきた。
あれ?わたし泣いてる。
そう自覚した瞬間、涙はもう止まらない嗚咽になった。
キリスト教徒でもなければ、マリア像に何の思い入れがあるわけでもない、けれどそこで号泣する謎のアジア人。や、これは完全にヘンなひとだと思われる、止めなければと思うのに、止まらない。
「それはね、神さまからのゴーサインなんだよ」。
理由はわからない、でも涙があふれてとまらないというときは、神さまが「そっちで合ってるよ」って教えてくれてるんだよ。
いつだったか、そんなことを教えてくれたひとがいた。
この涙は何のゴーサインなんだろう、何が隠れているんだろうと思いながら、わたしはマリア像を見つめ続けていた。たしかにわたしには過去にも3度ほどこんな瞬間―理由がわからないけど涙が溢れて止まらず、その後、自分のなかで何かが変わるーがあったから、きっとこれもそんな瞬間のひとつになると直感が告げていた。
泣きつづけてどれくらい経っただろうか。なぜかわたしは4年前に亡くなった母方の祖母のことを思い出していた。