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【VOL.4】自由

 

祖母のことを想うとき、いくつもの感情が交差してわたしは少し混乱する。群馬の田舎の農家で、いわゆる「本家」だった母の実家。わたしと姉が小さかった頃は年に1-2回帰るかどうかだったけれど、ほかに孫がいない祖母はいつもわたしたちを特別な宝物のようにかわいがってくれた。

 

一緒におはぎをつくったこと、夏休みには田んぼのなかの道をとおってアイスを買いに行ったこと、大学に入学して髪を染めたわたしをみて「他の若い子が頭を染めてるのをみるとヘンだなぁと思うけど、みかちゃんがしてるの見るといいね」といってみんなに祖母バカだと笑われたこと、誕生日プレゼントであげたマフラーをうれしそうにつけていたこと・・・。

 

昔のひとにありがちな病院嫌いで、珍しく調子が悪いからと自分で自転車にのって行った病院でそのまま入院したこと。膵臓ガンだったこと。でも家族は最後までそれを告げられなかったこと。いつもなかなか群馬まで足を伸ばさないわたしがお見舞いに行くと不審がられるからと叔父にとめられてぎりぎりまで会いに行けなかったこと。

 

そして、わたしが留学先のNYについた2日後に訃報が届いたこと。迷ったあげくお葬式には帰らなかったこと。

 

サン・シュルピス教会のマリア像を前にしてただ涙を流しながら、わたしはそんな祖母のことを思い出していた。

 

「おばあちゃん、ごめんね…」

 

―罪悪感は乗り越えたと思っていたのに。

 

いまこうして泣きながら口について出るほど、わたしは祖母の最後のお別れに行かなかったことを、心の底では申し訳ないと思いつづけていたのか。

 

—止まらない涙とともに、苦しささえこみあげてくる。

 

わたしは、わたしはこれまで「自由」ということにとても重きをおいてきた。人生において自分の意志で、自分のしたいと思うことを選びとる以上に大事なことなんてない、と。

 

でも、本当にそうなのだろうか。

 

祖母のお葬式には出ない、NYに残るとあのとき自分の意志で選んだのに、4年経ったいまもまだ、こんな気持ちを抱えている。

 

わたしにとって「自由」とは、これから先もこうして誰かにごめんなさいと思うような気持ちを抱えていくということのなのだろうか。

 

だとすれば、わたしはそれに耐えられるのだろうか。そしてひとにも「自由に生きよう」なんて言えるのだろうか。

 

わからなくなってしまった。


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