Crimson_sunset

ハイブリッド種の自覚を持って生きよ

 

先日の記事、「平等に扱われたい、けど守られたい」について、日頃からダイバーシティをテーマに仕事をする機会が多く、いわゆる”女性活躍系”のトピックの近くにもいる(であろう)友人に意見を聞かせてといったところ返答コラムを書いてくれた。

 

友人のコラム「ちゃんと男女は平等と思う。」 

 

彼女のコラムのなかでとくになるほど、と思った点があったので引用すると、

 

女性100名(10代〜50代)に、どんなことが「男女別」が良くて、どんなことが「性別不問」が良いのかアンケート調査を行いました。初期調査ですがあらためて、有名な「マズローの欲求5段階」でいう、土台の物質的欲求ほど男女別を欲し、上の段階に上がるほど、つまり仕事などの価値観になればなるほど「性別にとらわれたくない」欲求を求める相関関係がある結果になりました。

 

※マズローの5段階欲求についてはこちらをどうぞ

 

このマズローの説自体、異論反論もあるそうだが、「生きるか死ぬか」「安全でいられるか」という命にまつわる切実な欲求が満たされてはじめて「社会でどう生きるか」といった問題が気になり出すというのは多くのひとが感覚的に同意するところだろう。友人の行った調査の詳しい項目はわからないが、アンケートに答えた彼女たちは「ヒト」というむき出しの生きものとしては「男女」でありたいと願い、より社会的な場面を生きる「ひと」としては男女をことさら意識しないでいたいのだと推測する。

 

友人は同じコラムの冒頭で男性管理職の方々のよくある反応を書いていたけれど、こういうおじさまがたは長いこと「守る」対象としての女性しか知らなかったのではないかと思う。プライベートでも職場でも「ひと」という認識より「男女」という認識が先にきていれば、きっと彼らにとって女性はいつも「守るべき」存在だったのだ。それがいつのまにか「守る」×「平等に扱う」ハイブリッド種対応が迫られている。わたしは職場にパソコンがなかった時代というのがまったく想像すらできないのだけれど、彼らはその長いキャリアの途中でウィンドウズだのメールだのpdfだのが登場したのだ。そんなハードの変遷と同じように彼らがいまソフトの変遷に巻き込まれていると思えば、おじさまがたの混乱も少しは想像できる。

 

女性側に女性として「守られたい」欲があるなら、おそらく男性側にも男性として女性を「守りたい」(庇護したい?)という欲もあるだろう。「守られたい」がいきすぎると、相手への依存や不満にいきつくように、「守りたい」がいきすぎると相手への支配欲や過度なプレッシャー(=守らなければ!)となる。男女問わずこの自分のなかにある「ヒト」としての欲と社会的な「ひと」としての在り方をうまく調整していくしかない。そして自分がややこしいハイブリッド種である自覚を持ったうえで、出逢う相手との絶妙なバランスを探っていくしかないのだろう。

 

それにしても、こんなややこしいことを(あちこちで失敗をしながら)こなしつつ、みんな何だかんだと日々社会をまわしているのだと思うと、とりあえずそれだけでブラボー!という気にさえなってくる。そうしてエールを交換しあったあとで、さてどうしていきましょうかという話は残るのだけど。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>