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【VOL.9】メッセンジャー

 

それはまるで、誰かが完璧なセリフと配役を用意してくれていたかのようだった。あるいは、ちょうど出かけようとしたその瞬間にインターホンがなって、大切な手紙を持った郵便配達員が現れたかのような。

 

「わたし、パリはマリアさまの街だと思ってるんですよ」。

 

チホコさんに会えたのは、彼女がわたしにとってのメッセンジャーだったからなのではないかしら、とすら思う。わたしにそのひとことを伝えてくれるための、素敵な、完璧な、メッセンジャー。

 

そして思ったのだ。「あぁ、そうか、わたし、今回の旅はマリアさまに会いにきたんだ」と。誰が笑ったとしても、何ひとつ証明ができなくても、これはわたしにとっては真実だと噛み締めた。だって、「体」が先に納得したのだ。一瞬で。胸よりずっと下のほう、肚か胎で。いつものように、「頭」がわぁわぁと何かそれらしい反論や言い訳を始めるまえに。

 

それは、いつもほとんどすべてのことを「頭」でこねくりまわしてあーでもないこーでもないと悩み続け、結局答えなど見失ってしまう頭でっかちなわたしにとって、とても大きなことだった。こんな感覚が自分にもあったんだ、この感覚を忘れないでいたいと思った。そして、この感覚を味わえただけで本当に旅に出てよかったと思った。

 

ふふふ、と心のなかで密かに笑う。出発前に聞いた「のっとーだーむ」はノストラダムスじゃない、“Notre-Dame”(我らが貴婦人)、聖母マリアのことだったんだな。いや、なんかどうもピンとこないと思ってたんだけどね、そういうことだったのね。

 

56階の窓からみるパリの景色を思う存分楽しんだわたしたちは、夕暮れを前にお店を後にした。そこからモンパルナス墓地―各界の著名人が埋葬されているに向かってまた街をてくてく歩く。

 

閉園時間ギリギリだった墓地を急いで通り抜け―守衛のお兄さんにムリをいって入れてもらった―、チホコさんがいう。

 

「みかちさん、奇跡のメダイユ教会ってご存知ですか?」

 

☆☆☆☆☆

 

1830年、修道女カタリナ・ラブレのまえに聖母マリアが現れ、メダイユ(メダル)をつくるようにと彼女に告げた。そしてパリでコレラが大流行した際、そのメダイをひとびとに配ったところコレラが収束したという言い伝えのある奇跡のメダイユ教会。

 

メダイユは現在でも販売されており、日本でも数年前、とある人気モデルやタレントが身につけていたことで有名になった。「奇跡のメダイユ」、それを手に入れるために、いまでは世界中から観光客が訪れるそうだ。

 

わたしは以前、そのメダイを友人からもらったことがあった。

【VOL.8】ノストラダムス…じゃない件

 

「あぁ、みかちゃんがフランスに行くってこと、すっごくよろこんでるみたい」

 

「おぉ、ほんとですか?」

 

「うん、にこにこしてるよ。すごくよろこんでる。なんか言ってるな…えっと、プロヴァンス。なんとかかんとかプロヴァンス」

 

「え、プロヴァンス?南仏の?」

 

「うん、あと、なんだろう、ほかにも何か言ってるんだけど日本語じゃないから…」

 

「はぁ…」

 

「のっ…のっとー?うーん…のっとーだむ?めっちゃ発音いいから聞き取れない・・・のっとー…….のっとーだーむ?…ノストラダムス?」

 

「ノストラダムス??」

 

「うん、しきりに言ってるんだよ。ちょっと待って、Googleで調べてみようか…あ、プロヴァンス地方にノストラダムスの生まれた場所と晩年過ごした場所があるみたい」

 

「へー!」

 

「サン・レミ・ド・プロヴァンスと、サロン・ド・プロヴァンスだって」

 

「そうですか…えー、ノストラダムス?なんだろう…でもまぁ、南仏にはどうせ行くつもりだったしどちらかの街に寄ってみようかな」

 

「うん、行ってみたらいいよ。こういうことは、行けばわかるから」

 

「ですかね〜」

 

「それにしても、あのノストラダムスがフランス人って知らなかったね」

 

「たしかに」

 

〜出発前にある方に会ったときのこと。彼はいわゆる「見える」方です。

〜こういう話自体、「胡散臭い」と嫌われる方もいらっしゃると思いますが、わたしは「そうだったらおもしろいな」「こうだったらいいな」と思える範囲で前世や守護神や不思議な話が好きですし、信頼できる友人知人が紹介してくれた方にはみてもらうこともあります。このときは「わたしを護ってくれている」ひとがわたしに何を伝えようとしているか、そんな話をしていました。

 

―チホコさんを前に、いま気づく。

 

ノストラダムスじゃないよ、ノートルダムだよ!

 

【VOL.7】“我らの貴婦人”

 

ランチを終えたわたしたちが次に向かったのは、14 区にあるモンパルナスタワー。210mの高さを誇る、パリでは珍しい超高層ビルだ。エッフェル塔をはじめ市内を一望できるだけあって、昼夜問わず観光客が訪れる。

 

「上の展望台が有名なんですけど、このお店は入るのに並ばなくてもいいし、ゆっくり景色を楽しめるしオススメなんですよ」

 

タワー1階のエレベーター前では、たしかに多くの観光客が59階の展望テラスにのぼるべく列をなしていた。その脇を涼しい顔ですいすい通り抜け、隣のエレベーターに乗って56階のレストラン“Le Ciel de Paris”に向かう。

 

慌ただしいランチの余韻をほんの少し残しつつ、ひろい店内はひともまばらでとても静か。チホコさんがフランス語で何か告げると、恰幅のいい白髪のムッシュはわたしたちをいちばん眺めのいい席に案内してくれた。

 

正面にはエッフェル塔。凱旋門やルーヴル美術館…。3階分うえの展望テラスからみるのとほぼ同じであろう景色が、いま目の前にひろがっている。

 

「お食事はそんなに…って感じなんですけどね。お値段も結構張るし。ここはカフェで利用するのがいちばんです」。まったく、本当に、チホコさまさまである。

 

絵ハガキさながらの絶景を前にした最初の興奮からひと息、ドリンクのオーダーを済ませると―チホコさんはコーヒー、わたしはフレッシュトマトジュース―、わたしたちはまたおしゃべりを始めた。

 

「教会は、どんなところにいかれました?」

 

話の流れでつい先日サン・シュルピス教会を訪れたときのこと、そこでマリア像を前に涙が止まらなかったと話していたわたしは、次の瞬間チホコさんが言ったひとことに息をのんだ。

 

「わたし、パリはマリアさまの街だと思ってるんですよ」。

 

パリ発祥の地といわれるシテ島―市内中心部を流れるセーヌ川の中州にあたる―、その大切な中心地に「ノートルダム」大聖堂があることは、パリはもとよりフランスという国自体が聖母マリアを大切にしてきたという証ではないだろうか、とチホコさんはいう。

 

「それにわたしがこうして8年間、危ない目にも合わず、なんだかんだとパリに住み続けていられているのは、マリアさまが守ってくださってるからだって、勝手に思ってるんですよね…」。

 

どれだけこの地に残りたくても、ビザや諸々の条件がそれを許さず泣く泣く帰国していくひとたちも多い。そんななか、自分はこうしていまも声楽の勉強をしながらパリにいられる―。

 

いわゆるキリスト教徒ではないけれど、とチホコさんはいう。むかしからマリアさまに近しい気持ちを持っている、昔、日本で通っていた学校がミッション系だったからかもしれないけれど、と。

 

しみじみと話す彼女の隣で、わたしは言葉を失っていた。頭のなかをひとつの単語がグルグルとまわる。どうして?どうして気づかなかったんだろう。

 

「ノートルダム」―“Notre-Dame”、英語で“Our Lady”。

 

日本語では「我らの貴婦人」―、聖母マリアのことじゃないか!