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【VOL.6】空気、もしくはそのような何か

 

パリでいちばん安いというドラッグストアでNUXE(ニュクス)のオイルを買ったり、おしゃれなセレクトショップを覗いたりしながらたどり着いたお店“Le Plomb du Cantal”。地元のひとにも観光客にも人気のお店で、いつもはかなり混んでいるのだという。この日はランチの時間にも少し遅いくらいだったから、なんなく席に着くことができた。

 

迷ったすえわたしは鴨のコンフィを、そしてチホコさんはステーキをオーダーしたのだが、ギャルソン氏がやってきてわたしたちの目の前でそのプレートにAligot(アリゴ:マッシュポテトとチーズとガーリックを混ぜたもの。お餅のようにのびる)を大量にサーヴしてくれる。

 

肉が隠れる勢いだ。というか、隠れている。

 

パリに来てすっかり肉食づいていたわたしだが、ひそかに気合いを入れて食べはじめた。このAligot、食べきれるだろうか。

 

友だちの友だちは得てして共通の価値観や趣味を持っていることが多いけれど、チホコさんとわたしもどうやらその例に漏れず、同じ興味範囲を持っているらしい。わたしがこちらに来てはじめて、自分が美術館や教会にこんなに興味があることに気づいたと話していたときのことだ。

 

「自分がこんなに美術館が好きだって思ってなかったんです。日本でもすごく話題になる展示とか興味のある企画展があれば観に行くんですけど、なんていうかあくまで“行っておこう”って感じで。こちらに来て、それぞれの作品の持つ魅力もそうだけど、その場が持つ“空気”の力ってもう、本当にすごいんだなって圧倒されました」

 

そうなのだ。

 

教科書にのるような巨匠の作品がこれでもか、と並んでいるその“事実”だけに魅了されたわけではなかった。そこにある作品すべてでつくりだしているその場の“空気”や、そこを訪れているひとたち、もっと言えばこれまでにそこを訪れたひとたちが少しずつ置いて行った“空気、もしくはそのような何か”を含めてその美術館の持つ“空気”ができていて、それがわたしを圧倒した。

 

言語には変換できない。

ただその場で感じるしかない、“空気”。

 

「すごくわかりますよ、それ。あとね、パリってひとが『アートしたくなる』街だと思うんです。みかちさんのいうような“空気”で。ひとに『自分を表現したい』って思わせるというか…」

 

「あー、なんかわかる気がします」

 

「それとね、おもしろいんですよ〜!以前、このあたりに住んでたことがあるんですけど、そのときやたら本が読みたくなってずっと本を読んでたんです。文豪がたくさん住んでた場所だからだろうね、そういうの絶対あるよねって友だちと言ってました」

 

聞くひとが聞けば、鼻で笑うようなことかもしれない。でも「それはあるだろうな」と普通に思う。だってわたしたちが知覚できる世界なんて、きっと笑っちゃうくらいほんの少しだ。地面に這うアリが人間の見ている世界を認知できないように、わたしたちもたぶん、圧倒的に何かを認知できていない。

 

オルセー美術館で行われていた特別展のこと、チホコさんの習っている声楽のこと、なぜパリに来たのか、なぜ1年で帰るつもりがずっと住み続けることにしたのか―。

 

女どうし、気が合うと分かればおしゃべりだけであっという間に時間が過ぎる。

 

結局、Aligotは食べきれなかった。

【vol.5】チホコさん、そして4月8日ふたたび

 

 

「さて、まずはランチですよね。そうだなぁ、近所の安くて美味しいバスク料理のお店か、それともパリでいちばんおいしいクレープのお店に行くか。パリでいちばん眺めのいいカフェもありますよ」

 

その日わざわざホテルまで迎えにきてくれたチホコさんは、わたしが尊敬している友人のひとり、かともえさん(わたしは彼女をニックネームでこう呼んでいる)が「高校時代の親友がパリにいるから」と事前にFBを通して紹介してくれていた女性だ。

 

「長崎の高校を出たあとは都内の音大でピアノを勉強して、卒業後は有名な音楽系の企業に勤めていたんだけど、数年前に声楽を勉強するためにパリに行きました。そういうひとです」。

 

 

かともえさんから貰ったメッセージにはチホコさんについてそんなふうに書かれていて、まるで「ほら、みかち、そういうひと好きでしょ」と言われている気分になる。

 

―かともえさんは確か、わたしよりも10歳ほど年上だったはず。ということは、同級生だというチホコさんも40代。パリに渡ったのは彼女が30代後半のときだろう。

 

「年齢なんて、ただのナンバーだよ」と言うし―それにしたって、本当に年齢が若いうちはそんなこと言われないし耳に入ってこない。だからこのセリフを聞く度に、あ、わたしは本当に若くなくなってしまったんだとあまのじゃくな気持ちになる―、そんな気持ちで生きていきたいと思っているけれど、

 

それでも、ちょうど3日前に34歳の誕生日を迎え、じわじわと自分の年齢が気になってきた身としては、そんな「いわゆる一般的な30代コース」からはみ出した(これ、もちろん褒めてます)チホコさんに会って話を聞くのをとても楽しみにしていた。

 

「わたし、今日は結構がっつり食べたい気分なんですけど、その眺めのいいカフェっていうのも行ってみたいな〜。でも、カフェだと軽食になりますよね?」

 

「そうですねぇ、どうしようかな…。じゃあその眺めのいいカフェはランチのあとにお茶しに行きましょう。そこがモンパルナスにあるので、ランチはその近くの肉料理が有名なお店にお連れしますね。バスク料理のお店もぜひ行ってみてほしいから、あとで場所だけお教えします」

 

きっとこれまでに何度も日本からパリを訪れた友人知人、ご家族の観光案内をされてきたのだろう。チホコさんの提案は完璧だった。

 

モンパルナスまでふたりでぶらぶらと歩く。

 

「パリはどうですか?気に入りました?」

 

「大好きです!もう、思っていた以上に好きになりました」

 

石畳。まだ肌寒くコートに身を包んで街を歩くひとびと。いたるところにある芸術品。NYではデフォルトのようにいた“スタバのグランデサイズを持って歩くビジネスマンたち”も、“ヨガマットを背負って、にぎやかにiPhoneのイヤホン通話をしながら歩く女の子たち”もいない。NYも刺激的な楽しい街だったけど、パリはわたしにとって歩くだけで静かにワクワクしてくるような街だった。

 

ひととひとに相性があるように、ひとと街にも相性がある。あるひとにとってはしっくりくる街が、ほかのあるひとにとっては退屈でしかないこともあるし、あるひとにとってはそれまでとは見違えるようには元気になっていく街が、あるひとにとってはどんどん生気がなくなっていったりもする。

 

わたしは、たぶん、パリが好きだった。

 

【VOL.4】自由

 

祖母のことを想うとき、いくつもの感情が交差してわたしは少し混乱する。群馬の田舎の農家で、いわゆる「本家」だった母の実家。わたしと姉が小さかった頃は年に1-2回帰るかどうかだったけれど、ほかに孫がいない祖母はいつもわたしたちを特別な宝物のようにかわいがってくれた。

 

一緒におはぎをつくったこと、夏休みには田んぼのなかの道をとおってアイスを買いに行ったこと、大学に入学して髪を染めたわたしをみて「他の若い子が頭を染めてるのをみるとヘンだなぁと思うけど、みかちゃんがしてるの見るといいね」といってみんなに祖母バカだと笑われたこと、誕生日プレゼントであげたマフラーをうれしそうにつけていたこと・・・。

 

昔のひとにありがちな病院嫌いで、珍しく調子が悪いからと自分で自転車にのって行った病院でそのまま入院したこと。膵臓ガンだったこと。でも家族は最後までそれを告げられなかったこと。いつもなかなか群馬まで足を伸ばさないわたしがお見舞いに行くと不審がられるからと叔父にとめられてぎりぎりまで会いに行けなかったこと。

 

そして、わたしが留学先のNYについた2日後に訃報が届いたこと。迷ったあげくお葬式には帰らなかったこと。

 

サン・シュルピス教会のマリア像を前にしてただ涙を流しながら、わたしはそんな祖母のことを思い出していた。

 

「おばあちゃん、ごめんね…」

 

―罪悪感は乗り越えたと思っていたのに。

 

いまこうして泣きながら口について出るほど、わたしは祖母の最後のお別れに行かなかったことを、心の底では申し訳ないと思いつづけていたのか。

 

—止まらない涙とともに、苦しささえこみあげてくる。

 

わたしは、わたしはこれまで「自由」ということにとても重きをおいてきた。人生において自分の意志で、自分のしたいと思うことを選びとる以上に大事なことなんてない、と。

 

でも、本当にそうなのだろうか。

 

祖母のお葬式には出ない、NYに残るとあのとき自分の意志で選んだのに、4年経ったいまもまだ、こんな気持ちを抱えている。

 

わたしにとって「自由」とは、これから先もこうして誰かにごめんなさいと思うような気持ちを抱えていくということのなのだろうか。

 

だとすれば、わたしはそれに耐えられるのだろうか。そしてひとにも「自由に生きよう」なんて言えるのだろうか。

 

わからなくなってしまった。