書かなくなった手紙

 

数年前から、Room to Readという非営利団体の活動に共感してときどき寄付をしている。彼らがCool(かっこいい)だなと思う点は色々あるけれど、設立者であるジョン・ウッド氏が最初の著書(※)のなかで、「寄付を募る団体にありがちな『ガリガリに痩せた子どもたちがこちらを見つめる』ような写真を見てひとびとは罪悪感からお金を払うかもしれないが、それよりは子どもたちの未来や希望にお金を出したいと思うのではないか」というようなことを書いていたことが心に残っている。

 

ひとにとって「罪悪感を刺激される」というのは、もちろん気持ちのいいものではない。その罪悪感から逃れるために何らかのアクション(上記の例でいえば寄付など)を起こしてもそれが継続しにくかったり、本人がちっともハッピーじゃないのはその出発点が「罪悪感」だからだ。たとえそのアクション自体はとても素晴らしいものだったとしても。

 

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わたしは亡くなった祖母に以前はよく手紙を書いていて、けれどあるときそれをぴたりとやめてしまった。それは純粋に祖母を想う気持ちからというより、自分の「罪悪感」から書いているものだと気づいてしまったから。祖母も認知症が進み、もうあまりわたしの手紙を待ち望んだり大切にしたりという風じゃなかったということや、もう子どものように思ったことを口に出すようになっていた彼女の、悪気のないひとことで不本意に傷ついてしまったというのもその決断に拍車をかけた。

 

幼少期の親や周囲のおとなの口癖なんかが、子どもの思考パターンのフレームを決める。幼い頃から祖母の苦労話をよく聞かされて育ったわたしは(※)、いつのまにか「祖母はかわいそうなひとだ」という強烈なインプットと「自分は何もできなくてごめんなさい」という勘違いが醸成がされてしまったらしい。そのかわいそうな祖母に何かしてあげたくてーというより、しないと悪い気がしていたのかもしれないー手紙を書いたりプレゼントを贈っていたのだ。悲しいけれど、いま思うと出発点は「罪悪感」だった。だからどんなに祖母が喜んでくれても、わたしはいつも嬉しいというより、泣きたいような気持ちだったのだろう。

 

以来、何かをするとき、それが「愛」からくるものなのか「怖れ」からくるものなのかをときおり自分の胸に聞くようになった。それがどちらも表面的には同じ行動でも、自分が受け取るものがまったく違うから。たとえば純粋に相手を想ってあたたかい言葉をかけるのと、相手に嫌われたくなくて言葉をかけるのとではその行動自体が同じでも自分の見える景色はまったく異なるということだ。わたしがかつて手紙を書くたびに祖母がよろこんでくれても、この胸はいつもひっそりと晴れることがなかったように。

 

「罪悪感」からではない、ただ純粋に「愛」から書いた手紙を出す前に祖母は逝ってしまったけれど、いまはただ記憶のなかで少し若返った祖母に笑って話しかけている。おばあちゃん、確かにすごく苦労したけど、楽しいこともあったでしょ。それにいつもどこかでごめんねと思ってたけれど、もう謝ったりしないよ、だってわたし別におばあちゃんに悪いことしてないもん、と。

 

「マイクロソフトでは出会えなかった天職 ぼくはこうして社会起業家になった」 ジョン・ウッド著

※ひとって、ハッピーなことより苦労したことを覚えているものです。で、それを語るのって本人にとってはある種のエンタメのようなものだと思うのですが、子どもはそれがわからず何度も何度も「かわいそう」な話としてインストールしちゃったのですね。

 

ゲシュタルトの祈り

 

わたしは以前、母とのあいだに感情的な境界線が確立できていなかった。母の悲しみ(それも自分が想像したものでしかないのだが)を同じように感じ、苦しみ、何もできない自分にずっと罪悪感を感じていた。それが発展したのか何なのか、わたしはひとの悲しみにとても敏感だった。誰かが悲しんでいるとこちらまで苦しくなり、いてもたってもいられなくなるのだ。それは「そのひとの悲しみに寄り添う」という段階を越えて「自分も同じようにその悲しみを体験してしまう」という状態で、一時期は本当に苦しめられた。

 

「相手との問題に境界線をひく」という概念(※)を知ってからは、とてもラクになったように思う。これは一見つめたい態度のようにとられることもあるのだけれど、そうではない。相手が乗り越えるべき課題まで自分が背負う必要はないし、それは相手をその力がない者として弱くみているという意味でもあるからだ。そして何より、相手に自分の望むように在ってほしいというその期待は、本当はやさしい顏をした「コントロール」でもあるから。わたしたちにできることは「寄り添うよ。そしてできることがあるならするよ、けれどこれはあなたの課題だよ」と示すことなのだ。それはときに一緒になって感情の沼に入るよりはるかに難しい(冷たい人間だ、と誤解される可能性も含めて)。

 

日本人が外国人が、とひとくくりにすることほど安易なことはないけれど、それでも日本人は同質的な文化だからか、やたらひととの境界線を侵入して騒ぐひとが多いように思う。「それ、あなたに関係あるの?」とよく思う。裏を返せば、そういう境界線のあいまいさが助け合いの精神や日本人の持つ長所にもつながるのかもしれないけれど。

 

そうなのだ。親しいひとどうしや大切なひとどうしはこの境界線のひきかたが難しい。それが例えば恋愛の醍醐味でもあり家族の意味でもあるのだろうが、知らぬまに自己犠牲のポジションに入りがちなひとは自覚的に「境界線」をひく練習をするといいだろう。それは利己的な行為ではなく、お互いが成熟した者どうしであるリスペクトの証でもあるから。「誰かのために生きる」というのは一見美しいが、それが「犠牲」からなのか「息をするように自然なこと」なのかでまるで意味が異なることを、いつも忘れないでいたいと思う。

 

〜ゲシュタルト療法(※)の創始者、フレドリック・パールズの詩〜

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du –
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

 

※「境界線(バウンダリ―ズ)」ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著

ゲシュタルト療法

 

彼と彼女とニューヨーク

 

ちょうど4年前のこの時期、わたしはNYにいた。いろいろあって決めた滞在で、英会話スクールに通い、色んなひとに会い、ときには引きこもり、NYでいちばんのパンケーキを探すために北へ南へブランチへでかけ、ハッピーアワーで1ドルのバドワイザーを飲んだ。海外でひとりでいることに慣れたのは、ひとえにこの期間があったからだ。愛想笑いなんてしなくてもいいのだと知ったのも、欲しいものはちゃんと欲しいと口に出さなければいけないのだと気づいたのも。

 

☆☆☆☆

 

彼女とは、NYに着いて1週間後にでかけたMeetupで知り合った。国際交流かLanguage EcxhangeのMeetupで、時間通りにユニオンスクエア近くのバーを訪れたけれどそこには主催者はじめまだ誰も来ておらず(おい)、うろうろとそれらしき人々を探して所在無さげにしていたのがわたしと彼女だった。

 

先にNYに来ていた旦那さんの後から移住したばかり、というドイツ人の彼女はいま考えればドイツアクセントの英語を話していたのだけれど、当時のわたしにはそれが完璧な英語に聞こえてわぉ、と思った。わぉ、わたしもこんなふうに話せるようになるんだろうか。それにしても、時間通りにくるのは日本人とドイツ人って本当なんだねとふたりで笑ったことを思い出す。

 

4ヶ月という短い滞在のあいだ、彼女と彼女の旦那さんとはたくさんの時間を過ごした。NYマラソンを見物し、ブランチを食べ、ワシントンスクエアパークでコーヒーを片手にピアノマンー本名は知らない。公園でいつもグランドピアノを弾いていたパフォーマー氏ーの演奏を聴き、彼と彼女が住むBrooklynのおうちに遊びに行った。お互いNYに来たばかりで、カルチャーショックを受ける時期だったからだろう、よくNYの悪口を言って盛り上がった。それでもお互いこの街が好きなことはよく知っていたから。

 

4年ー。あっという間なのかそれともものすごく長い時間が流れたのかよくわからない。けれど先日、わたしの知人のひとりが彼女が働いているインターネットメディアの日本オフィス初代代表になったというので久しぶりに彼女にメールを書いた。こんなことってあるんだね、彼、わたしの知人なんだよと。

 

しばらくたって彼女から返信がきた。彼女はいまも旦那さんとともにBrooklynの”Hip”なエリアに住んでいるらしい。それにしてもsmall worldだね、と彼女は言って、そうそう、”Robataya“って日本料理のレストラン覚えてる?と聞いてきた。

 

「あなたが最初にわたしたちをあのお店に連れて行ってくれたでしょう?あのあと何回かふたりで行ったんだけど、そのたびに最初にあなたとここに来たときのことを思い出すよ」

 

ふいをつかれたわたしは、ほんの一瞬息が止まった。そしてその刹那、色んな感情が押し寄せる。なつかしさ、せつなさ、嬉しさ、そして少しの情けなさー。

 

あぁ、何でわたしはこんなことも気づかずにいたんだろう。わたしがときどき彼や彼女を思い出して胸があたたくなるのと同じように、彼らだってわたしのことを思い出してくれているのだ。それは思いつくかぎりのどんな贈り物よりわたしの心を満たしてくれた。世界中のどこかに住む誰かの想い出の一部に自分がいて、それをときどき思い出してくれている、それ以上に素敵なことがあるだろうか。

 

NYのEast Villageにある小さな日本料理のレストラン。きっと彼と彼女はこれからもそこに行く度にわたしのことを思い出すだろう。わたしが街でNYの何かー雑誌や、本や、ファッションやーを見るたびに、彼らと過ごした時間を思い出すように。自分なんて、とちっぽけな気持ちになるとき、居場所がないと心細い気持ちになるときは、そんな彼や彼女のことを思い出そう。いいじゃない、だってわたしはもう誰かの心のなかに住んでいるのだから、と。

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