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【vol.30】サント・ボームへ

 

翌朝、レストランで朝食をすませたわたしは、回廊のなかにある緑の庭のイスに座りコーヒーを飲んでいた。春とはいえ朝晩は寒いくらいだ。水色のたっぷりしたセーターの袖を限界までのばしてかじかみ始めた手の寒さをしのぐ。

 

今日はついにサント・ボームに行くんだ。

 

朝からそわそわしていたわたしは、そのまま部屋には戻らずに教会とホテルのあいだにあるツーリストインフォメーションが開く時間を待っていた。回廊ならわたしは何時間でもいられる。大きく深呼吸して回廊部分にある窓々に目をやると、どこからか白いハトがやってきてとまった。

 

白いハトは、キリスト教の三位一体の聖霊をあらわすシンボルだ。

 

―幸先がいいな。

 

やっと9時になる。コーヒーを飲み干し、ツーリストインフォメーションへ向かった。

 

☆☆☆☆

 

「サント・ボームの洞窟に行きたいんですが」

 

始業時間と同時にやってきてそんなことを聞くわたしに、デスクにいた白髪の上品なマダムはゆっくりと目をあげた。

 

「車はありますか?」

 

「いえ、ないんです」

 

「そうですか…」

 

チェーンのついたメガネを書け直し、少し考えるようにしながら地図を取り出し、こちらに向ける。たしかにここを訪れるひとのほとんどは、自家用車かレンタカーでくるだろう。こうして改めてマダムの出してくれた地域の地図を目にすると、そりゃそうだという気になってくる。小さな小さな南仏の街、そして向かうのは山の上。

 

「バスで行けないこともないけれど、いったんこの街までいって、そこからタクシーに乗らなければいけません。そこから結局サント・ボームまでは○ユーロかかってしまうから、少し高くなるけどここからタクシーで行ったほうがいいと思いますよ」

 

地図に印をつけながら、ゆっくり丁寧に説明してくれる。

 

「山の下までタクシーで行って、そこからは自力で登る必要があります。ふもとから洞窟まで45分から1時間くらいですね。毎日ミサがあるから、急いで出ればそれに間に合うかもしれません」

 

英語が話せるドライバーの電話番号を書いてあげましょう、ホテルのフロントで呼んでもらうといいですよ、とマダム。

 

「ありがとうございます!」

 

笑顔でお礼をいってツーリストインフォメーションを後にする。たくさんのひとにありがとう、という旅だなと思いながら。

 

☆☆☆☆

“Je suis Schumacher.” (ぼくはシューマッハだよ)

 

1時間後、わたしは軽快にオヤジギャグを飛ばすポールさんの隣に座っていた。

 

くねくねと曲がった山道を猛スピードで登るタクシードライバー、ポールさんに、んなわけなかろうと突っ込みのひとつも入れたいがフランス語が出てこずひきつった笑いを返すしかない。

 

ホテルのフロントにツーリストインフォメーションのマダムからもらったタクシードライバーの電話番号を渡し、やってきたのがポールさんだった。値段交渉をしようとするも・・・あれ?

 

「あの、英語話されますか?」

 

「ノン(堂々たる笑顔で)」

 

英語の話せるドライバーって話だったのでは・・・と思うも、もめている時間がない。それにここはフランスだもん、英語でどうにかしようとするわたしのほうが悪いんだよねと自分に言い聞かせつつ助手席に乗り込む(なぜか後部座席ではなく助手席に乗せられた)。

 

―このポール氏が悪いひとだったら一巻の終わりだわ。

 

ホテルが呼んでくれたタクシードライバーとはいえ、言葉もほぼ通じない見知らぬおじさんと車に乗り込むのは緊張するではないか。

 

・・・という心配もどこへやら、彼はフランス語で、わたしはカタコト以前のフランス語と英語で、サント・ボームのふもとまでの40分ほどのあいだおしゃべりしながらいたってすこやかに過ごしたのだった。話すことがなくなれば、外の景色を眺めればいい。頻繁にあらわれるぶどう畑、誰かさんたちの別荘、大きなゴルフ場―。

 

「あ、水を買ってくるの忘れちゃった」

 

ふもとに水を買えるところがある?と聞くと、身振り手振りで「後ろにつんであるからあげるよ」というポールさん。

 

すごくいいひとなのだった。

 

すこーしだけ疑ってごめんね、と心のなかで謝る。

 

☆☆☆☆

 

「じゃあ、3時間後にまたここで」

 

そう言って、ポールさんに手を振った。彼は1度街に戻り、わたしをまた迎えに来てくれるという。お金はいま半分払っておこうか?というと帰りにまとめてでいいよ、と彼。

 

いいひとなのだった。

 

―最初の値段交渉で、値切って悪かったな。

 

目の前にひろがるサント・ボーム山塊は、覚悟していた以上に「山」風情だった。ひとりで登れるものだろうかと、早くも不安になる。ふもとには小さな食堂兼お土産やさんと、修道院とおぼしき建物がある以外は広い芝生のエリア、背の低い木々、畑が延々とひろがっていた。

 

ポールさんからもらった水をひとくち飲んで、畑のなかの道を進む。まずは山の入り口まで行き着かなければならない。

 

【番外編】ドラドはひとりで食べられる

(写真は泊まったホテルです。素敵でしょ!)

20代の頃のわたしは、当時大流行していたSex and the Cityにそれはもうどっぷりとはまっていた。NYに暮らす30代の女性たちのキャリア、友情、恋愛…。セントラルパークも日曜日のブランチもエンパイアステイトビルもとてもとても遠い世界だったあの頃、彼女たちのあのスパイスのきいた英語が聞きとりたくて、日本語と英語の字幕を何度も切り替えながら英語を勉強したっけ。当時はかっこいい年上のおねえさんだったキャリーも、自分自身が劇中の彼女と同じ年齢になったいまは、昔仲のよかった友だちのことを思い出すような気分でときどきDVDを観かえす。

 

☆☆☆☆

 

サン・マクシマムのバシリカの隣、教会とつながる修道院を改装したホテルにチェックインしたわたしは、ひとりでは広すぎる部屋に感嘆の声をあげた。

 

「わー、受付の彼女に感謝だな..」

 

じつはさかのぼること10分前、最初に鍵を渡された部屋に行ってみるとなんと清掃が終わっていないではないか。そのことを告げに戻ったフロントで、20代とおぼしき女性スタッフ―きれいなアメリカ英語を話していた―が、ワンランク上の部屋を取り直してくれたのだ。

 

「ごめんなさいね、じゃあこっちの部屋に行ってみて。もちろん、予約した部屋と同じ値段でいいから安心してくださいね」

 

自分があとふたりいても余裕の大きなベッド、バスルームに置かれたふかふかのタオルとバスローブ、窓から見える南仏の家々は、バシリカを訪れて少し沈んでいたわたしの気持ちを持ち上げるのにじゅうぶんだった。素敵。窓をあげて夕方のひんやりした空気を思い切り吸い込む。

 

お腹すいたな…。

 

昼間つまんだサンドウィッチはとっくの昔にあたかたもなく消化されていた。普段はホテルに荷物を置くとすぐに街へ散歩に出るわたしも、今夜はそうやっておいしいレストランを探す元気がない。せっかく素敵なホテルだもの、今日はここでごはんを食べよう。シャワーも浴びよう。2人用に用意してあるタオルだってたくさん使っちゃおう。

 

現金なものだ。世俗的なわたしは世俗的なものですぐ元気になる。

 

☆☆☆☆

 

修道院を改装した、というと質素な雰囲気を連想させるけれど、歴史ある建物を活かしたそのホテルはとても美しくシックだった。廊下やロビー、石造りの階段、こっそり覗いたホテル内のチャペルも見ているだけで心が弾む。ホテル内をこそこそ探索しながら、1階の回廊部分―回廊!わたしは本当に回廊が好きだ―を進み、レストランに辿りついた。

 

ゴシック式の天井、石造りの壁、落した照明、静かにディナーを楽しむ年配の上品なご夫婦たち―。まるで異次元にワープしたようだ。

 

ここで一気にドアをあけないと躊躇してしまう。わたしはまるで何でもないようなそぶりで出迎えてくれた背の高いギャルソンくんに「ひとりのテーブルを」と告げた。

 

さぁさぁ、こんなときほど背筋を伸ばして堂々と。そこにいるひとみんな、そしてその空間ぜんぶを味方にするつもりでゆっくり歩くのだ。内心のドキドキを気取られないように―。

 

通されたテーブルにつき、渡されたメニューをひらく。南仏だもの、ロゼワインを飲もう。あとは魚…魚が食べたいな。

 

問題はフランス語のメニューだ。Poisson が魚なのはわかる。けれど、後ろにつづく魚の種類も味付けや調理法もさっぱりわからない。

 

ギャルソンくんにヘルプを求めるも、わたしのカタコトのフランス語も通じず、彼は英語がわからない。どうしたものかと思ったそのとき・・・。

 

「あ、ドラドだ!」

 

ドラドー。Sex and the CityのSeason 6で出てきたあの魚だ。あれはたしかVOUGEの鬼編集者、イニドとキャリーがランチをしていたときの話。イニドがキャリーにパーティーで同伴してくれる男性を紹介して、と頼んでいたシーン。

 

NYはどこでもカップル、シングルはやりづらいわ、と言っていたイニドがドラドを頼もうとしたら、「ドラドは大きいので1人では無理ですよ」とウェイターに言われて「この街は魚もひとりじゃ食べられないのよ!」と憤慨していた・・・あのドラド!

 

「このドラドは、ひとりでも食べられますか?」

 

身振り手振りでギャルソンくんにたずねると、大丈夫だという。食べてみよう。

 

はたして出てきたドラドは、グリルされた切り身のサーモンのような魚だった。なんだ、ひとりで食べられるサイズ感にしてくれれば、何の問題もないってことか。

 

拍子抜けしたわたしは、中世にタイムスリップしたような静かな空間で思わず笑い出しそうになる。大好きで何度もみたあのTVドラマのワンシーンが、10年以上たってこんなふうにわたしの人生に登場してくるなんて。

 

素敵なご夫婦たちがディナーを楽しむテーブルを見渡しながら、わたしはひとり、ゆっくりとそのひと皿を味わった。

 

―イニド、ドラドはひとりで食べられるよ。

 

ひとつのお皿を分け合えるひとがいることは、それだけで祝福された幸福だ。でもひとりで向き合う未知のひと皿は、それだけでもう小さなアドベンチャーなんだ。

 

デザートまでしっかり平らげて、ゆっくり眠ろう。明日はサント・ボームのあの洞窟に行くのだから。

【vol.29】小さな街の大きな教会へ

 

乗客もまばらな高速バスは、エクスのバスターミナルを出発してグングンとスピードを上げていた。遠くに見えるゆったりとした山々、緑と土色のコントラストもきれいな畑たち、道ばたで咲き乱れる菜の花の海。

 

こんなところまで来てしまった・・・。

 

畑のなかに点在する農家のオレンジ色の屋根と建物をじっと見つめがら、ここに住むひとびとの暮らしに少しだけ想いを馳せる。いったいどんなひとたちが住んでいるんだろう。彼らにはどんな楽しみがあって、どんな悩みがあるんだろう。仕事の愚痴を言ったり、週末には久々に会う家族の訪れを楽しみしたり、子どもの成績のことで頭を悩ませたり、しているのだろうか。

 

彼らの人生とわたしの人生は、きっとこれから先も一生交わることがない。ことばも習慣も違う彼らが、けれどきっとこのわたしと同じように何かに笑ったり泣いたり、怒ったり悩んだりしてあの屋根の下で生きている。

 

その事実、その不思議。

 

―わたしはこれから先、いったいどれくらいのひとの人生に関わることができるんだろうか。

 

見知らぬ土地でひとりバスに乗り、そんなことを考えていたら妙にしんみりして胸が詰まった。

 

「デデデデデデデン♪デデデデデデデン♪」

 

・・・のも束の間、なぜかドライバーが突然CDをセットし、この心象にまったくそぐわない昔のロックが流れてきておかしくなる。あははは、雰囲気台無しなことこのうえない。

 

乗客たちはみな静かに目的地まで昼寝を決め込んでいた。車内にはエレキギターの音だけが響いている。

 

☆☆☆☆

 

旅のなかで心細く感じた瞬間は何度かあるけれど、どれかひとつを挙げろといわれればダントツでこの日のこの瞬間だろう。夕方、目的地のサン・マクシマンのバス停でひとり下ろされたわたしは、文字通り途方にくれていた。バス停の目の前にあるのは高校だろうか、大きな校舎から生徒たちが一斉に出てくる。みな日本人のわたしの目からすれば大人っぽく見えるので、男子生徒たちが数人グループになるとちょっとした迫力だ。思わず身構えながら、とにかく街の中心部に行こうとポーカーフェイスのまま目を皿のようにして標識のようなものを探す。

 

ポーカーフェイス、ポーカーフェイス。

 

あきらかに困った様子を見せたりキョロキョロしていると、誰に目をつけられるかわからない。

 

ポーカーフェイス、ポーカーフェイス・・・。

 

とそのとき、別の高速バスが到着し、数人の大人たちがバスを降りてきた。見れば、みな同じ方向に向かって足早に歩いて行く。

 

―あっちだな。

 

あたりをつけて、彼らの後を追う。え、ここ通るの?え、本当にこっち??と思うような道―建物の横を通り抜け、細い砂利道を行く―を数分歩き、やっと(やや)広い道路に出た。あった、標識だ。

 

バシリカ(教会)へはこっちの道か・・・。

 

ほかに目立った観光名所のない小さな街だ。標識には、わたしが行く予定の教会と、その教会の横にある修道院を改装したホテルの案内くらいしかなかった。

 

心細い気持ちはそのままに、スーツケースをゴロゴロとひきながら歩く。ちょうどディナータイムが始まる頃なのだろう、道の脇のレストランではテーブルを整えるスタッフたちの姿が見えた。

 

アスファルトから石畳の道へと入り、今度は店じまいを始めるひとびとのなかをゆく。隣の店で働く者どうし、軽くおしゃべりをしながら。仕事が終わった母親に、子どもたちがまとわりつきながら。

 

なんだろう、これと似た雰囲気知ってるな、と思い、京都のお寺の近くにある門前町と同じなのだと気づく。観光客向けに、細々したお土産を売るお店・・・。

 

ということは。

 

道の先に目をやると、教会が見えた。夕日を受けてオレンジ色に輝いている。

 

☆☆☆☆

 

サン・マクシマンのサン・マリー・マドレーヌ教会は、ゴシック様式の教会としてはプロヴァンス最大のものだという。小さな街の、大きな教会。ここから小1時間ほどいった山の上にあるサント・ボームの洞窟で祈りと瞑想を捧げたマグダラのマリアが死したあと、その聖遺骨をここに葬ったとされている。

 

―来ちゃった。

 

まるで突然、恋人の家を訪ねる気分だ。逸る気持ちをおさえながら教会の入り口まで辿り着き、そっとなかに入る。

 

と、パイプオルガンの幾重にもかさなる響きが全身をまるごと包み込んだ。こんな時間に?教会の後方上、オルガンを見上げると、演奏者とそれを見守る男性がいた。何かの練習だろうか。

 

ラッキーだなぁ。

 

思いがけず、美しい音楽の出迎えを受けて顏がほころぶ。ここはパイプオルガンも有名で、聴けたらいいなと思っていたのだ。

 

息をひそめてその場にじっと佇んだ。古い古い建物のにおい。神さまの音楽。目をつぶり、深い呼吸を繰り返す。

 

―誰かがとてもよかったという映画が、自分の琴線にはまるで触れないことがある。あるいは誰かが人生で最も影響されたという本が、自分には何の意味を持たないことも。

 

不思議だった。ここ、サン・マクシマンの教会で、わたしの琴線はまるで動かなかったのだ。彼女の存在に、これまででいちばん近づいているというのに?

 

サン・マリー・ドゥ・ラ・メールの黒いサラの教会でとめどなく溢れた涙は、いま1滴も流れる気配がない。胸に迫るものも、降りてくることばもない。

 

しばらくそこで立ち尽くしたあと、わたしはそっと教会をあとにした。

 

感覚が違うと告げていた。わたしには、いや、少なくともいまのわたしには通じる場所ではなかった。

 

すっかりひと気のなくなった教会前の広場に、陽の長い南仏の夕暮れが迫る。石畳のうえにはもう土産物屋の面影もない。

 

スーツケースをひくゴロゴロという音だけがあたりに響いた。いまここにいる自分が一気にリアリティをなくす。ここはいったいどこ?こんなところでひとり、わたしは何をしているの?

 

日本を出発する前から何度も何度も振り払ってきたことばが、亡霊のように頭のなかによみがえってくる。こんないい歳した大人になって―みんなは日本で働いているというのに―仕事でも勉強でもないのに―。

 

わ た し 一 体 な に を し て い る の ?

 

心細さに追いつかれないよう、大股で歩く。ダメだダメだ、この声に耳をかしたらダメだ。立ち止まっちゃダメだ。意味なんて求めないと決めたじゃない。行動することすべてに理由なんてなくてもいいと。

 

誰でもいい、早く誰かとことばを交わしたかった。